【車屋四六】ウッディーデコが懐かしい
2008年、74才で余生少なくなったと思い、清水の舞台から跳び降りる気分で薄型TVを買った。SONY40吋で28万円だった。 大画面の迫力に酔いしれていると友人来宅「音が悪いからアンプとスピーカーを買え」と云われてヤマダ […]
続きを読む2008年、74才で余生少なくなったと思い、清水の舞台から跳び降りる気分で薄型TVを買った。SONY40吋で28万円だった。 大画面の迫力に酔いしれていると友人来宅「音が悪いからアンプとスピーカーを買え」と云われてヤマダ […]
続きを読む昭和64年1月7日、昭和天皇67才で崩御、昭和から平成に。天皇の重体発表は前年9月で、日産セフィーロの井上陽水の明るいTV-CM「お元気ですか~」の部分だけが口パクで音声が消えた。更に墓石屋のCMも消えたのは、TV局の自 […]
続きを読むかつて対韓国でも悩んだが、大分前から中国のコピー製品には日本も欧米も手を焼いている。自動車ばかりではない、あらゆる分野で、ディズニーランドからレストランにまで及んでいる。 こうして偉そうに目くじら立てている日本も、かつて […]
続きを読む自転車の後ろに曳く荷車だからリヤカー。語源はリヤーカーだろうが、英語嫌いな明治生まれが良くぞ命名したものである。昭和一桁生まれの私が子供の頃は、街中にあふれていた…リヤカー誕生のヒントは江戸時代からの大八車だったと聞く。 […]
続きを読む私の手元に交通博物館所蔵とある東京駅の古い絵葉書(トップ写真)がある。 もちろん創建当時の姿だが、WWⅡ中の空爆で焼落ち復興した時には、費用がかかるということから、名物ドーム屋根が尖り屋根に変わって、長らくそのままになっ […]
続きを読む年中暑い常夏国のことは知らないが、現在は少なくとも寒暖ある国の自動車ならヒーターの装備当たり前の時代になった。 近頃ではエアコンだって付いていて当たり前である。 が、昭和20年代にはヒーターのない車が売られていた。輸入車 […]
続きを読む断熱圧縮で発熱点火するディーゼルを除き、内燃機関は何らかの手段で点火しないと燃焼が始まらない。その点火方式も多種多様、多くの発明進化を経て今日に至っている。 近頃の主流は電子制御で、各部の調整整備が不要になり、白金やイリ […]
続きを読む日本初の本格的サーキットは1963年開場の鈴鹿サーキットで、第一回日本グランプリの開催が此処。で、火が点いたスポーツ熱を関東にもと、65年船橋サーキットがオープンする。三番目が。66年誕生の富士スピードウエイで、鈴鹿とJ […]
続きを読むマイカーとは平均的所得層の自家用車、云うなれば大衆車である。昭和30年代、大衆車を名乗る車はあったが、大卒初任給1万数千円の頃、ブルーバードもコロナも手が届かぬ高嶺の花だった。 敗戦このかた昭和30年代までは、復興のため […]
続きを読む1960年代初頭バンド結成→人気上昇→解散したビートルズから、60年代をビールズエイジと呼ぶ。人気絶頂のビートルズ来日は66年6月。事故防止で武道館公演に動員された警官6400人…こいつを70年安保闘争警備の予行演習だっ […]
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