【車屋四六】フォード・サンダーバード強烈デビュー
WWⅡが終わってからの20年ほど、米国の乗用車は大馬力化・巨大化の競争期だった。大衆車のシボレーやフォードですら、全長が5mを越え、全幅も2m越えというほどのエスカレート振りだった。 そんな時代の1955年に登場したのが […]
続きを読むWWⅡが終わってからの20年ほど、米国の乗用車は大馬力化・巨大化の競争期だった。大衆車のシボレーやフォードですら、全長が5mを越え、全幅も2m越えというほどのエスカレート振りだった。 そんな時代の1955年に登場したのが […]
続きを読む古今東西・芸能人やスポーツ選手は車が大好き。中高校生の頃の私は、ハリウッドスターが、豪華な高級車やスポーツカーを乗り回す姿に憧れたものである。WWⅡ直後の日本の、敗戦貧乏経済で自動車が輸入禁止の時代にも、芸能人が目立つ車 […]
続きを読む写真には多くの情報が詰まっている。たまたま見つけた写真(トップ)は、日野ルノー4CVの誕生は昭和28年、ブルーバード34年、日産オースチンA50は35年、ということで昭和35年頃だと判る。 此処で気がつくのは、ナンバープ […]
続きを読む奥日光の板屋は、輪王寺から湯守に定められた250年を誇る老舗旅館。其処の息子大類君が慶応の後輩なので、昭和20年代後半に同級の富澤康夫と泊まりに行ったのが最初だった。 その後も何度か訪れたが、卒業してからのある日、旅館に […]
続きを読む1980年、ついに日本は世界一の自動車生産国になった。 敗戦後の生産量ゼロからの出発のあと、わずか35年で世界で一番に、日本人の勤勉努力の賜物である。 戦争中、乗用車の生産は日産とトヨタの軍向けだけで、ダットサンは小型自 […]
続きを読む1983年度の流行語{オシンドローム}の語源はNHK朝ドラ{おしん}。TV最高視聴率60%強を記録した橋田壽賀子原作…小林綾子→田中裕子→乙羽信子と引き継がれたヒロイン三代の奮闘記は、今でも全世界で放映される傑作ドラマと […]
続きを読む1980年代の三菱は元気一杯だった。クライスラーと合弁してダイアモンドスター社設立→米国現地生産、マレーシア・プロトン社で現地生産、ベンツと提携、韓国現代自動車に技術供与、等々。 ギャランの日本カーofザイヤー受賞には私 […]
続きを読む小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」→{禁演パイポ}のCMが話題になった1984年、珍獣ブームが起きた。 発端は三菱ミラージュの、なんとも可愛い、いやかわいそう?な必死に走る{エリマキトカゲ}のTVCMからだった。 […]
続きを読む1984年/昭和59年1月26日発行の週間文春{疑惑の銃弾}で火が点いた話題が大報道合戦に発展…妻がロスで撃たれ植物人間になり、一年後に死亡して一度は世間から忘れられた事件が{保険金1億5000万円を夫が…}という見出し […]
続きを読む1952年の300誕生で高級車メーカーの地位を取戻したベンツは、57年に米国市場のハードトップ流行に合わせて、側面のシックスライト全ての柱を取去り、これぞ完璧というハードトップに変身した…そして燃料噴射になったエンジンは […]
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