北京で出会ったプジョー・ヴォワチュレット
2010年の北京オートチャイナは、参加16ヶ国2100社、展示車両990台・アジア最大のショーに発展し、その会場20万㎡は東京ドーム9個分、上海の頃より格段に広くなり歩くのが大変になった。 全球首発=世界初公開車輛が89 […]
続きを読む2010年の北京オートチャイナは、参加16ヶ国2100社、展示車両990台・アジア最大のショーに発展し、その会場20万㎡は東京ドーム9個分、上海の頃より格段に広くなり歩くのが大変になった。 全球首発=世界初公開車輛が89 […]
続きを読む川上完は私と同業で仲間内では通称「完ちゃん」…博学でクラシックカー分野では、いちもく置かれる存在で、またミニチュアカーのコレクターでも名を知られる人物である。 彼の悪い癖はやたら本を買いまくること…1980年代のシドニー […]
続きを読む1966年ローマのグッドイヤーで紹介されたF.F,ビアンキーニは、スタジオイタリアーノの重役で、英国なまりの英語はWWⅡ中に英国BBCでイタリア向け短波放送の担当だったからと云う。 ラテン系イタリア人らしく、彼も明るく陽 […]
続きを読む誰だってレースは勝つ意気込みで参加するものだが、優勝には貪欲なトヨタが、勝つつもりもなく参加したビッグレースがあった。 1966年5月3日の富士スピードウェイ、午後1時30分頃の写真は、日本GPスタート直前のグリッド。奥 […]
続きを読む昔はグランプリドライバーと呼んだが、世界のレースを勝ち抜き、技を認められたドライバーにF1出場のライセンスが発給される。ということは一流中の一流に、更に{超一流}となると、長い歴史の中でも限られた数になる。 FISCOで […]
続きを読む1963年、鈴鹿の第一回日本グランプリの頃、自動車会社は、レースは一部愛好家の道楽で販売とは無縁と決めて「メーカー参加せず」の紳士協定をかわしていたが、大会終了後、対応が一転した。 で、不参加表示の日産に対しNDC東京の […]
続きを読む世界最古の自動車会社は?と聞かれたら「ダイムラーベンツ」とは誰でも知っているだろうが、日本最古はと聞かれると答えられる人は少なかろう。 大正6年に登場した三菱A型は僅か60台で幕を閉じ、大正10年、石川島造船(いすゞのル […]
続きを読む最近の自動車メーカー各社のフルモデルチェンジ、マイナーチェンジ、一部改良などの内容をチェックすると、一段と多様化、複雑化していることが伺える。フルモデルチェンジは文字通り全面改良であるから、名称は継承していても、別のまっ […]
続きを読む時計師本間誠二は、時計業界では知られた存在だが、日本の初期モータースポーツに活躍した人物でもある。JAF創設時にはスポーツ委員、公認審判員としてビッグレースの計時委員長、JAF公認NDC東京の会長も務めた。 トップ写真の […]
続きを読む若い編集者が避けるのか、年を取ると新車の記事依頼が減り、書き手が少ない昔の車の原稿依頼が多くなる。まるで古道具骨董専門商的になっただけに、古い車に出会うと嬉しくなる。 毎年三月末に出掛けるバンコク自動車ショーのクラシック […]
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