バンコクで出会ったメルセデスベンツ190SL
毎年3月末になればバンコク自動車ショーに出かける。2011年に出会ったのがベンツ190SL。1954年~63年間で2万6681台を生産し大半が米国に渡ったが、バンコクにも。 190SLは、重要輸出先である米国意識で開発、 […]
続きを読む毎年3月末になればバンコク自動車ショーに出かける。2011年に出会ったのがベンツ190SL。1954年~63年間で2万6681台を生産し大半が米国に渡ったが、バンコクにも。 190SLは、重要輸出先である米国意識で開発、 […]
続きを読む古今東西、映画やTVにスパイが隠し持つ超小型カメラで機密文章や図面を撮る場面がある。名画{ローマの休日}で記者役グレゴリー・ペックが王女役オードリー・ヘップバーンを盗み撮りしたのは日本製ライター型カメラだった。 この種の […]
続きを読む最後には神風が吹いて大勝利と、子供心に疑わなかったWWⅡに日本が降参したのが昭和20年/1945年8月15日。戦時体制から元に戻った戦勝国米国自動車産業の翌46年の生産量は300万台。一方敗戦国日本の生産量は老舗日産の2 […]
続きを読むハナ肇のクレージーキャッツが生んだ流行語に{アッと驚く為五郎}というのがあったが、1950年/昭和25年に誕生した英国フォードのコンサルは、まさにタメゴローだった。 大昔自動車のタイヤはサイクルフェンダーがカバーしていた […]
続きを読む長いこと日本で人気が高い外車と云えば、ベンツ、BMW、VW、だろう。が、今でこそ人気絶頂のBMWにも青息吐息の時代があったことを知っているだろうか。 撃墜王リヒトフォーフェンも好んだという戦闘機エンジンを造ったBMWだが […]
続きを読む自動車より遅かった、という今では信じられない時代を経て飛行機も自動車同様に速度競争が始まり、WWⅠで一気に進化し、その意気込みは戦後レースに向かい、一気に速度が上昇した。 (kph=km/h=粁時・Hp=ホースパワー=馬 […]
続きを読むルマン24時間レースをよそに、本来の速さを競うサーキットレースにも年々大馬力車が登場し、速度も青天井の上昇ぶりを示した。 WWⅡ開戦直前の頃、ヒトラーの国策・国威高揚の後押しで生まれたメルセデスベンツW125型が猛威を振 […]
続きを読むWWⅡ突入で、やむを得ず休業になったルマン24時間の復活は、1949年/昭和24年で、優勝はフェラーリ2ℓ…フェラーリの社長は、戦前はアルファロメオのファクトリードライバーという人物。ちなみに翌年の優勝車はタルボ。 ルマ […]
続きを読む19世紀末産声を上げた、1馬力にも満たない内燃機は、半世紀後には3500馬力にもなるのだが、自動車用のレーシングエンジンなどは、リッター当たり出力100馬力なんてものはとうの昔で、1968年登場のトヨタ7はターボ加給によ […]
続きを読む人は欲の塊、満足という言葉を知らない人が多い。で、自動車がだんだん早くなるにつれ、記録更新が進み、最後は長年課題だった音速も突破し、遂に米ネバダではマッハ1.016到達…戦闘機用RRスペイ二基装備の運転は英空軍Aグリーン […]
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