フェアレディZのルーツはダットサンスポーツ
日本を代表するスポーツカーといえばフェアレディZだが、そのルーツがダットサンスポーツだったことを知る人は少ない。 その初代誕生は1952年/昭和27年。当時は進駐軍兵士が乗るMGが憧れだったが、我々には高嶺の花…これに目 […]
続きを読む日本を代表するスポーツカーといえばフェアレディZだが、そのルーツがダットサンスポーツだったことを知る人は少ない。 その初代誕生は1952年/昭和27年。当時は進駐軍兵士が乗るMGが憧れだったが、我々には高嶺の花…これに目 […]
続きを読む英国が名実共に大英帝国だった頃の1905年/明治38年にオースチン卿が創業したのがオースチン社…自動車業界の老舗である。 で、22年に発売したオースチン7は世界的傑作で、各国でライセンス生産された。BMWではディキシーの […]
続きを読む「こいつは凄いトップで上まで」と坂の上で歓声を上げたのは確か高校三年の時だった。そのフランス製ルノー4CVは、国際自動車興業西村昇社長の息子が学校に乗ってきた車だった。 国際自動車興業というと、似た名の会社がある。政商と […]
続きを読む昭和40年/1965年頃までの軽自動車は貧しい車だった。ボロンボロンと溜息混じりで廻るエンジンは、いくら頑張っても15馬力ほどで、値段が安いことだけが取り柄だった。 アクセル全開、エンジンが唸りを上げてもスピード上がらず […]
続きを読むトップの写真は前方1956年型ビュイック・ロードマスターと後方1955年型オールズモビル…父の告別式のあと、火葬場に向かう霊柩車のあとを追う、父の友人達の車である。 はからずも二台の車はGM車だが、当時のGMというよりは […]
続きを読む日本の敗戦で飛行少年の夢は消えたが、意外に早い占領軍の空の解禁で復活したグライダーで、一度は諦めた私の空の夢も復活した。 早速、復活したばかりの慶大航空部に入部したが、未だ敗戦の後遺症が残る昭和20年代末期、大学も貧乏で […]
続きを読む敗戦占領下の日本、GHQの財閥解体令で三井、三菱、日産など大企業が分割されたが、その中に中島飛行機も含まれていた。 分割された会社は、富士精密、富士産業、富士自動車など、富士が付く会社名が多かったが、GHQの顔色を伺いな […]
続きを読む1959年、バンケル博士とNSUのRE開発成功の報に、世界から100社以上が独逸に集合の話は有名。で、技術提携に成功しても世界中が実用化に難航する中、マツダが成功も周知の話。 二輪ではスズキが販売に漕ぎつけ、ソ連のラダが […]
続きを読む昭和34年にブルーバードが誕生した頃、コロナと共に大衆車を名乗ったが、当時そんな大金を払える大衆は居なかった。大卒初任給1.2万円、喫茶店で珈琲が50円で飲める頃だから、ブルーバードの69万円はどうあがいても無理な話しだ […]
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