絵画ポスターと番外編

all コラム・特集 車屋四六

これまで長々と、昔宣伝広告のポスターやカタログは絵画だったと説明してきたが、ブガッティを除き、どれもベンツを中心に現存する自動車メーカーばかりだったが、最後に既に消えてしまったメーカーと番外編として飛行機を紹介しよう。

一枚目はフランスのドライエ(1894~1954年)で、熱心だったレースから高級車部門に進出した30年代のポスター。このドロップヘッドは、たぶん直列八気筒・4.7ℓという贅沢な一台。
10年代ルマンを初め各地のレースで活躍、23年にはV12気筒・10.7ℓのレコードカーで時速229.29km/hをマークした。
商売も順調で、35年にはドラージュを吸収合併したが、WWⅡ後は高級車需要がなくなり、54年オッチキスに吸収された。
ちなみに、30年代ナチの後ろ盾で活躍するベンツとアウトウニオンを相手に果敢に挑んだのはブガッティとドライエだけだった。

短命だったフランスのライトカーDonne Zedelのポスター。

二枚目はDonne Zedel。1924年創業、33年迄という短命なフランスの会社で、小型車を得意とした。ポスターは30年頃のライトカー7CVタイプGと思われる。
初期モデルは、直四サイドバルブ・1100ccだったが、26年には直六・2500ccに進化。ポスターのロードスターは、最終期の31年パリサロンに登場した7CVタイプだろうと思われる。
ラジェーター直前の棒は始動用クランクハンドルだ。

アルファ製発動機の三発長距離機SM75GAグランドアウトノミア日本上空の風景。当時イタリア人の日本認識はこの程度だったのだろう/多分上から目線で国威示威を図ったのだろう。

最後のポスターは飛行機?だが、三発のエンジンがアルファロメオ製だから自動車に縁があり珍しいので紹介する。
この発動機は、アルファロメオ126RC型:空冷星形九気筒・860馬力で、機体はSM75GA RT/SM=サボイアマルケッティ航空会社名からの略号だ。
機体は30人乗り旅客機&輸送機だったが、軍仕様の爆撃機にもなり、最終的にアルファ発動機は1400馬力にも発展することになり、トータルで95機生産された。

さて良く見ると変なポスターだ…富士山や鳥居から察すると日本、人物は日本人みたい。その人物、右端は編み笠で刀を差し下駄を履き、隣は下駄履きで刀を差し頭は月代のようで一見裃姿のようでも有る。あいまいな町並みは日本の雰囲気ではなく西洋じみている。

実はこの絵は事実に基づいており、飛行機は1942年にローマから日本に飛んだので、アルファが宣伝に作ったのだ。
42年と云えばWWⅡのさなかで、イタリアは日独伊三国同盟で同盟国。で、日本にイタリアの国威を示す目的で親善飛行を企画、長距離型SM75GAグランドアウトノミアを、860馬力×3・航続8000㎞・速度298㎞に改装して飛来したのだ。

当時ソ連は日本と不可侵条約を結んでいたから、ローマを出発した親善機はドイツ占領地域からソ連上空を経てモンゴルの日本陸軍飛行場に着陸し、日本軍に攻撃されぬよう日の丸を描き飛来したのだ。なのに日本上空の絵はイタリアのマークのままだ。いずれにして辻褄の合わぬ妙な絵だが事実なので紹介することにした。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

Tagged