【車屋四六】ラングレー誕生

コラム・特集 車屋四六

かつて日産にはチェリーと呼ぶ小型車があったが、その名が消えたのには不都合な理由があったようだ。
何処の業界でもネーミングには気を使う。日産はチェリーを”桜”として命名したが、暫くして俗っぽい意味で「処女」「童貞」などの意味で使われることもあると判ったのだそうだ。

こいつはブルーバードの時にもあったようで、当初のスノーバードが、発売前スラングで娼婦というような使われ方があると判り、ブルーバードになったと裏事情に詳しい同業者から聞いた。

で、消えたチェリーの後継で78年に登場するのがパルサー。
その後パルサーは双子、三つ子と発展しながら80年に登場するのがラングレーだったのである。

パルサー登場の78年は昭和53年、実力が付いた日本経済に比例して円高が進み、7月21日ついに200円の大台に達し国中大騒ぎ。
が、円高進行は止まらず、8月2日184円に、8月15日181円と高騰を続け、輸出業は慌てふためいた。
78年、パルサー登場頃♪与作/北島三郎♪夢追い酒/渥美二郎♪青葉城恋歌/さとう幸行などが流行っていた。また80年ラングレー登場の頃は♪雨の慕情/八代亜紀♪倖せさがして/五木ひろし。そして売れっ子山口百恵の突如引退でファンを落胆させた。

ラングレーは、フォードア無しでスリードアのみという割り切り構成で、派生目的は旧プリンス系販売店向けだったから、ライバル無しでブランドイメージが確立していた虎の子、スカイラインの姿と雰囲気を取り込み、まさにミニスカイラインだった。

プリンス以来日産銘ブランドのスカイラインの印象にあやかった姿がスポーティー/於調布空港

全長3960㎜、全幅1620㎜、ホイールベース2395㎜。車重860kg。直四OHV・1397cc・圧縮比9・92ps/5000rpm。当時は斬新なラジアルタイヤ165/70R13を履いていた。

売り出したラングレーは好評だった反面、スカイラインのイメージがつきまとっているせいで、エンジンの古さが目立った。
で、81年登場の新E15型を搭載。が、SOHCに進化したのに、厳しい排ガス対策で85馬力と出力上がらず期待を裏切った。
♪ルビーの指輪/寺尾聡の歌が、TVやラジオからジャンジャン聞こえてくる頃だった。

ラングレーばかりでなく、排ガス対策で軒並みパワーダウンの対策として、日産はターボ装着技術で他社に先行していた。
で、ラングレーにもターボ装着車が登場する。

ラングレーターボは、小径ターボ採用でタイムラグが少ないのが好評だった。で、スカイラインのイメージを壊すことなく、評論家の中にはボーイズレーサーと書いた人も居た。

83年ラングレーターボ登場の頃は♪さざんかの宿/大川栄策♪矢切の渡し/細川たかし、そして日本では未だ珍しい韓国人歌手チョー・ヨンピルの♪釜山港へ帰れ、などが良く聞こえていた。

ラングレーの母体パルサー四ドア(後方右は富士重工製軽飛行機FA200四座