さて、古来多種多様な動力が考案されたが、19世紀最大の成功は蒸気機関だ。が、1858年ユーゴンが、2サイクル内燃機関を開発し特許を取得…ダイムラーの前に、おかしいじゃないかと思うだろうが、こいつは石炭ガスでガソリンではない。
ちなみにユーゴンはパリガス会社の技師で、6年間で動力用に120台を売ったというのだから、会社への貢献度は大きかったろう。
1862年に仏ロハスが4サイクルの特許を得るが、これが後にオットーサイクルの基礎となる。1880年になると独ショーンラインが石炭ガスの液化に成功し、これがダイムラー内燃機関開発に結びつくのである。
こうして誕生したダイムラーの史上初の内燃機関、たった4サイクル264cc・0.5馬力・800ccにより、それまでの多くの動力が息を止められてしまうのである。
木製だが、たった二台造られたダイムラーのバイク…一台は一度だけ走り、一台はマイバッハが乗った後ベンツに渡り、1903年に燃えて現存するものは無く、現在は全てがレプリカだ。
有名な航空発動機で仏ルローンというのがある。クランクシャフトが機体に固定され、プロペラと共に発動機も回転という変わり種だが、バイクにも回転型があった。1888年仏ミレーが開発…空冷星形五気筒を後輪に組み込むという奇抜な構造だが、電池+高圧コイル点火という進歩的構成だった。
史上初の自動車レースは1894年のパリ・ボルドー往復で、ミレーは自慢のバイクで参加。結果は不明だが、彼のバイクは操安性が悪く運転には名人芸が必要で、運動神経抜群の彼だからこそのバイクだった。が、翌95年のレースでは、パリを出発してオルレアンに向かい快調に飛ばしていたが、何かのはずみで掘り割りに落ち、85才の生涯を閉じ、世間から忘れさられてしまった。
1885年に登場した内燃機関は10年程でレースをやるまでに成長し、車以外の分野でも順調に育っていった。1894年パリ→ルーアン間126㎞、世界初のレースでは、プジョーとパナールが優勝し賞金を分けあった。
参加12台の中には「新顔に舐められものか」と蒸気自動車も頑張り、二位で賞金2000フラン獲得のドディオンは、運転手付蒸気自動車が曳く優雅なワゴンに乗っての参加だった。
参加車ではないがモーリスルブランというお節介焼きの画家は「内燃機なんてものは直ぐに壊れる」とドでかい9人乗り蒸気バスで、リタイヤーした運転手を拾いながら走っていた。
19世紀末、20世紀での大発展に備え、各種の源流が出始めている。95年のパリ・ボルドー間1171㎞レースでは優勝パナールのステアリングは現代風丸形に。当時のベンツのカタログにはホテル送迎用バスが載っている。ダイムラー発動機を搭載し会社の看板を書いてパリ市内を走るパナールのトラックは今様の姿だった。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。