【車屋四六】起死回生の屋台骨

コラム・特集 車屋四六

1967年(昭42)は、金持ちアメリカが泥沼に出発した年。ジョンソン大統領が、一月ベトナム戦でメコンデルタ地帯侵攻を許可。五月には枯葉剤散布を許可。で、猛毒のヒ素系薬剤は後にベトちゃん、ドクちゃんに代表される悲劇を生み、世界から顰蹙(ひんしゅく)を買う。

そんな67年に誕生したのがブルーバード510だった。
柿の種の愛称で小型市場に君臨した310が、イタリー斬新デザインが不評で宿敵コロナに王座を奪われ、その王座奪回目指して開発したのが510だったのだ。(写真上:念願のサファリラリー総合優勝に向けて正に出発直前、難波靖治監督の指示を受けるブルーバード510)

この起死回生を狙った力作510は、日産の願い通りホームランをかっ飛ばし、王座奪回に成功する。ロングノーズ・ショートデッキの姿は、名付けてスーパーソニックライン。当時目新しでは群を抜く超音速旅客機コンコルドをイメージしたものである。

(エースフランスのコンコルド:パリのルブルージェ航空博物館で2008年に撮影

が、両サイドのカーブドガラスを褒める反面、その斬新さに不快感を示す者もいた。長年親しんできた、室内換気には最高の三角窓を廃したからだ。

斬新サスペンションは、前輪は特許入れ間近のマクファーソンストラット、後輪はリーフを廃止セミトレーリングアームで四輪独立懸架を実現する。エンジンのOHC化も話題になった。

値段は、1300DX64万円、1600SSS75.5万円。写真は、当時花形のラリー“ツールド日本”出場の日本ダットサンクラブ員の1600SSS(写真下)とサファリラリー出場車。
第一回日本GPの頃から日産はラリーに夢中で、70年になり念願のサファリラリーの総合優勝を、510で果たしたのである。

日本の伝統ラリーだった“ツールド日本”に出場した日本ダットサンクラブ会員のブルーバード1600SSS

クーペが誕生した68年(1600SSS76万円)一月、女子中学生30人あまりが失神して病院に担ぎ込まれた。
人気絶頂、GS(グループサウンズ)の、オックス日比谷公会堂演奏会で興奮した結果だった…これが興奮少女失神の始まりとなる。

好成績を残したブルーバード510の世代交代は71年で、GSの絶頂期も終わりに近づき、沢田研二のタイガース解散の年だった。

一時代を築いたGS、その中で一世風靡のタイガース創立は、510誕生の67年だった。その頃はGS絶頂期で、テンプターズ/萩原健一、モップス/鈴木ヒロミツ、カーナビーツ、ビレッジシンガース、ビーバーズ、ゴールデンカップスなど新規結成が相次いだ。
で、名物、第33回日劇ウエスタンカーニバルでは、満員札止めが連日という、後世の語り草も生み出すのである。

世界の巨匠ピニン・ファリナのイタリーデザインの斬新さが発展途上の日本ユーザーに受け入れられず、小型市場で敗退のブルーバード410の無念を、見事に仇討ちという形で王座奪回に成功した510、そして活躍した1960年代は、人呼んでビートルズエイジ、GSの絶頂時代でもあった。