【車屋四六】ベンツ190SL
昭和30年頃の日本は朝鮮戦争特需のきっかけで、敗戦からの貧困を脱して、生活にゆとりも生まれはじめていた。 ちなみにこの時代を{神武景気}と呼び、庶民家庭の電化がはじまり、働き疲れを癒す{船橋ヘルスセンター}なども登場、食 […]
続きを読む昭和30年頃の日本は朝鮮戦争特需のきっかけで、敗戦からの貧困を脱して、生活にゆとりも生まれはじめていた。 ちなみにこの時代を{神武景気}と呼び、庶民家庭の電化がはじまり、働き疲れを癒す{船橋ヘルスセンター}なども登場、食 […]
続きを読む私が小学生のころ、英語は敵の言葉だから使ってはいけなかった。が、戦争前の雑紙で、自動車の写真に{オートモビル}と書いてあって、これが私が最初に憶えた自動車関連の英語だった。 外国など全く知らない少年は、それから発展して{ […]
続きを読む東麻布の私の家から歩いて1分の所の地下に、ワカヌイという店がある。ニュージーランド産のビーフとラムが安くタップリと評判だ。前はサルバトーレと呼ぶ、知られたイタメシ屋だった。 店はビルの地下だが、ビルになる前は、戦前から二 […]
続きを読むむかし報知新聞・自動車クラブ連盟{主催}。読売新聞・警視庁・JAF{後援}。グッドイヤー・パンアメリカン航空・シェル石油・STPグループ{協賛}、と蒼々たる顔ぶれが並ぶ{日本ベストドライバーズ・コンテスト}という大会があ […]
続きを読むむかしデパートを百貨店と呼んだ。その最古が江戸の越後屋(現三越)だと思っていたら、その11年前に白木屋が開業していた。 夏川静枝とダットサン開業していた。日本橋交差点角の白木屋は、東急デパートになり、現在はコレド日本橋だ […]
続きを読むWWⅡが終わったころの日本は、満足な車が作れない自動車後進国だった。そんな日本が、どうやら満足な自動車を造れるようになったのが、65年/昭30年のころである。 国産化したルノー・ヒルマン・オースチン。純国産のクラウン、ダ […]
続きを読む自動車の前照灯=ヘッドライト(英国ヘッドランプ)は、LEDやディスチャージランプなど、近頃ベラボーに明るくなった。 それ以前、12ボルト時代、いや6ボルトの時代でも、初めて見たシールドビームは、明るさにビックリしたもので […]
続きを読むWWⅡ中ガソリンは統制物資で、民間の乗用車・トラック・バス、みな木炭車に改造された。もう木炭車と云う言葉は死語になった。 木炭車を日本の知恵が生んだ大発明と云う人がいるが、WWⅠが終わった20年代、自動車の動力源の一つと […]
続きを読む自動車にガソリンを入れようと給油所に行けば、天井から下がったホース、地面に立ったタワーのホースの蛇口から給油する。 今時の若者達は皆そう思っているようだが、WWⅡ以前と直後の自動車の数が少なかった頃は、そんな大げさな設備 […]
続きを読む世界では第二次世界大戦だが、太平洋が戦場の日本では太平洋戦争で、戦争中は大東亜戦争と呼んでいた。 緒戦連勝の日本軍は、42年/昭和17年頃までは元気で、1月2日マニラ陥落、19日香港占領、31日シンガポール占領、3月8日 […]
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