【車屋四六】フランスからの変わり種ディナパナール
変わり種がまかり通り、それを受け入れる、国民性なのかフランスは不思議な国である。車でも、下手をすれば会社の命取りにもなりかねない斬新を、不審がらずに買う人さえ居るのである。 今回は、そんな車の一台…社名はパナール、車名は […]
続きを読む変わり種がまかり通り、それを受け入れる、国民性なのかフランスは不思議な国である。車でも、下手をすれば会社の命取りにもなりかねない斬新を、不審がらずに買う人さえ居るのである。 今回は、そんな車の一台…社名はパナール、車名は […]
続きを読むスターレットの誕生は73年だが、61年誕生のパブリカの後継ということで{パブリカ・スターレット}を名乗り、1200SRが58.5万円だった。 パブリカが誕生した頃の日本は敗戦の後遺症も薄れ、庶民にも自家用車という願望が生 […]
続きを読む人気のミニだが、小さく使いづらいという要望で64年登場したのがオースチン1100…始めて乗って「なんと広いことかと」と感心したのを憶えている。 当時輸入元は、東京渋谷富ヶ谷のキャピタル企業で、撮影場所は成田空港開港前、東 […]
続きを読むフェアレディーは日本の車だが、世界の自動車市場で空前絶後の偉業を成し遂げた車と云ったら、改めて感心という人も多いだろう。 欧州本場のスポーツカーには100年を超える歴史があるが、そのほとんどはコツコツと手作り少量生産とい […]
続きを読む1966年にサニーとカローラの登場で、日本の本格的マイカー時代の幕が上がった。そして70年頃になると、早くも車は多様化の兆しを見せ、スポーティーさ満載で登場したのがセリカだった。 その姿は、憧れのアメ車、フォード・ムスタ […]
続きを読むアウディの名は1939年に市場から消えたが、65年、26年ぶりにアウディ72型で甦った…DKWF102のスタイリングを引き継ぎ、ダイムラーベンツのエンジンを搭載していた。 ダイムラーベンツのエンジンは、水冷直列四気筒16 […]
続きを読むフィアットはイタリア最大の老舗メーカーだが、昭和20~30年代にパッカードやダンロップのエージェントの日本自動車が倒産してからは、忘れられた存在になってしまった。 80年代になると、JAX、そしてチェッカーモータース、サ […]
続きを読む1967年開催カナダ・モントリオール萬国博覧会に出品するべく、ベルトーネ工房で作られたのが、アルファロメオ・モントリオールの市販が決まり正式にお披露目は70年のジュネーブショー。 で、市販は71~72年で生産された392 […]
続きを読むスタンザが誕生した77年頃の日本は、敗戦から32年、長年の貧乏経済から脱して、自家用車も増え、車の多様化も始まった。 {スタンザ}=イタリア語で{部屋}。ちなみに写真機の語源である{カメラ}もイタリア語で{部屋}である。 […]
続きを読む{遙かなる走路}は、織機から自動車へ、シボレーのコピーから自動車会社をスタートさせた豊田喜一郎の伝記映画:昭和55年松竹映画製作・脚本新藤兼人・音楽ゴダイゴ・市川染五郎、田村高広、司葉子、中野良子など豪華な俳優陣だった。 […]
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