【車屋四六】ビューリーの古城と博物館
BEAULEUと書くが、現地の人はビューリーと発音する。ロンドンから出かけたのだから当然英語である。其処には有名な自動車博物館があり、オーナーが招待してくれたのである。 博物館のオーナーは、来日したこともある英王位継承で […]
続きを読むBEAULEUと書くが、現地の人はビューリーと発音する。ロンドンから出かけたのだから当然英語である。其処には有名な自動車博物館があり、オーナーが招待してくれたのである。 博物館のオーナーは、来日したこともある英王位継承で […]
続きを読むナンチューこと難波瑛彦がホンダに就職して仙台勤務に。彼のオペルカピタンがキャデラックになった経緯は前回。今回はキャデラックの仙台までの回送ということになる。 その日は土曜日だった。昼食を終えて茅場町のカブトオートセンター […]
続きを読む難波瑛彦(てるひこ)は、成城学園高校を卒業して慶応義塾大学にやってきた。で、私の一年後輩となる。 素晴らしい運動神経の持ち主で、馬術の日本選手権で優勝したその日の夜、私たちのアイスホッケーチームに来て、ポイントを稼ぎまく […]
続きを読む1955年、備蓄外貨が底をついて、日本政府が日本人向け外車の輸入販売を禁止したことは、何度も紹介した。そこでブローカー達の暗躍が始まり、東京芝赤坂界隈が梁山泊となった。 駐留軍関係や外交官などの二年使った車の争奪戦が始ま […]
続きを読むこの記事を書いた平成2年頃、NTV麹町ビル近くのビルの地下に、ドイツ音楽と酒と食事の”パウケ”という名の店があった。平成21年、ネットで調べたら、まだ在るようだ。当時の店の主人、ベルン・シュタイン […]
続きを読む1960年代半ば、ローマに行った。外国は言葉が通じないから、毎度知り合いを捜すことになる。2008年、ロンドン近郊航空博物館の写真撮影の旅では、三本和彦さんの弟、三本実さんの世話になった。また与謝野晶子の孫娘、与謝野文子 […]
続きを読む2400ドルで買ったカルマンギアが、二年後に4000ドルで売れて、500ドル足したらジャガーMK-IIになった話は前回。今度は私のカブトオートセンターで、商売としてVWカブト虫を扱った話。 その頃、駐留軍向けカブト虫の免 […]
続きを読む外車の輸入禁止で東京に梁山泊が出現。外車のヤミ相場が高騰したことを何度か紹介した。が、利益をむさぼったのは彼らばかりではなく、新車のオーナー達も賢く儲けた。そんな駐留軍兵士軍属や外交官の儲けはどのくらいだったろうか。 「 […]
続きを読む1954年までなら、2年間使ったら中古車なのに、輸入禁止の55年以降は、新車で240万円だったポンティアックが三年目新車になって、500万円にもなってしまった。輸入車の中では常に最高人気の高級車キャデラックも、ヤナセで3 […]
続きを読む梁山泊については「赤坂村の梁山泊」の話で説明したのでくどくどとコメントは省かせていただく。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)とは、各地の英雄が対立することと辞書にある。どちらも外車ブローカーが活躍する当時の芝赤坂界隈に当てはま […]
続きを読む