【車屋四六】昔はドリームカーと呼んでいた
さて困った、というのが写真トップの車。メーカー名が判らない。が、アメリカのショーモデル。いうなれば”ドリームカー”。少し目的は違うようだが、今様の言い方をすればコンセプトカーと同類だ。 昔、世界最 […]
続きを読むさて困った、というのが写真トップの車。メーカー名が判らない。が、アメリカのショーモデル。いうなれば”ドリームカー”。少し目的は違うようだが、今様の言い方をすればコンセプトカーと同類だ。 昔、世界最 […]
続きを読む85年500円に値上げした首都高料金が、87年僅か2年で600円に。これに腹を立てた何処かの社長が「俺は認めない」と、500円+名刺を渡して、不払い運動を続ける報道に、多くの人が拍手を送ったものである。 “人 […]
続きを読む昔、米国には数多くの自動車メーカーがひしめいていた。WWⅡ以前はともかく、戦後も生き残りの老舗や新顔が生産再開したが、結局は、GM、フォード、クライスラー主導で淘汰消滅合併が繰り返されて、たった三社になってしまった。 も […]
続きを読む今どきエアコン無しの乗用車を探すのは難しい。が、エアコンと呼ぶのは最近で、昔は単にカークーラー。温度調節無しの冷房装置だったから。冷房が珍しくなくなったのは70年代に入ってからだ。 そもそも冷房装置世界初装備はバスで38 […]
続きを読む大昔、自動車は全て手作りで高級品だった。が、ヘンリー・フォードの革命的流れ作業の発明で大量生産開始。が、安いのは有難いが、金太郎飴のような同じ姿の車に乗らなくてはならなくなった。 人間とは我が儘な生物で、金太郎飴的量産乗 […]
続きを読むボンネットバスが写る写真は、日比谷交差点と国電ガードの間。真新しいトヨペットマスター登場が昭和30年、日本交通のヒルマンが28年ということから、頃は30~31年頃と思われる。 ついでながらボンネットバスは民生ヂーゼルのよ […]
続きを読むくろがねベビーを知っている人など、もう少なかろう。オート三輪はなやかなりし頃には元気が良かった、日本内燃機工業開発の軽自動車である。(写真トップ:くろがねベビーは1959年登場でスバルサンバーと同じリアエンジン後輪駆動。 […]
続きを読む築地河岸のマグロ問屋の息子という友人が居た。彼のセドリックワゴンにはヒーターが無かった。昭和30年代も後半なら、セドリッククラスになればヒーターは標準装備なのに。(写真トップ:いすゞ117クーペのアンダーダッシュ型エアコ […]
続きを読むふと気が付くと、いつの間にか消えてしまったという物が結構あるものだ。乗用車なら三角窓、消えそうなのが灰皿とシガーライター、見えないところではニップル。 もうニップルなど若者には死語だろうが、昔といってもWWⅡ以後だが、自 […]
続きを読むWWⅡ直前、世界中の新鋭戦闘機が時速600㎞で苦労をしていた頃、独逸の時速750㎞に世界が驚き恐れを抱いた。その名はメッサーシュミットMe109。が、戦後に750㎞はガセネタと判る。パリダカなどのラリー車と同様、姿は市販 […]
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