【車屋四六】マトラM530
マトラと云っても知る人は少ない。日本では馴染みの薄いクルマだが、70年代世界のモータースポーツ界では輝く存在だった。 写真トップは、多分68年頃のジュネーブだから、67年~70年まで製造された、マトラM530だろう。 7 […]
続きを読むマトラと云っても知る人は少ない。日本では馴染みの薄いクルマだが、70年代世界のモータースポーツ界では輝く存在だった。 写真トップは、多分68年頃のジュネーブだから、67年~70年まで製造された、マトラM530だろう。 7 […]
続きを読む三菱初の登録車は三菱500だが、こいつは例の通産省国民車構想ターゲットで軽自動車に毛の生えたような物。本格的登録車となればフォードアセダンのコルト1000だろう。(写真トップ:コルト1000。アメリカンスタイルで実に格好 […]
続きを読む自動車業界で三菱自動車工業は歴史が浅い。日本では新参者と云って良いだろう。もっとも自動車造りは三菱重工で始まったのだから、それを足せば歴史が短いと云っては失礼かも知れない。 そもそもWWⅡ直後のスクーター、シルバーピジョ […]
続きを読む前の話(ダイハツのPシリーズ)で、第一回、第二回が鈴鹿で、一年のブランクの後、第三回は富士スピードウエイと書いたが、前二回の好況に目を付けて当時赤字経営のJAFが欲を出して、サーキット側とコース使用料で折り合いが付かなか […]
続きを読む軽自動車というジャンルは日本のお家芸、独特な発展を遂げて市場を生み出した。お馴染み淘汰の波も乗り越えて、現在、生き残り合戦の勝利者は、スズキ、ダイハツ、ホンダ、三菱。 それまでの軽自動車界では、たくさんの車が誕生しては消 […]
続きを読む写真トップは、オースチンセブンでご満悦の本間誠二。年来の親友だ。日本自動車研究者ジャーナリスト会議=RJCの会員だから、恒例行事のRJCカー・オブ・ザ・イヤーの選考委員でもある。 本間さんは、JAF創設頃からのメンバーで […]
続きを読むランボルギーニは欧州のメーカーでは新参者だが、49年間に波乱に富む人生を送りしぶとく生き残る。その遍歴の旅は次の通り。 62年創業→63年350GTでデビュー→71年経営不振でスイス実業家が51%株主に→74年他のスイス […]
続きを読む第二次世界大戦=WWⅡを挟み、戦前戦後、ローバーのイメージは高級だった。そして50年代以降からの世界的淘汰の嵐の中でも、吸収合併を繰り返しならが、強かに生き延びていく。 そもそも1905年創業、英国きっての老舗だが、WW […]
続きを読むGMの最上位ブランドのキャデラックも、近頃のベンツ、BMW全盛の日本ではステイタス力がない。90年代に入りクオリティーを取り戻したのに、キャデラックのステイタス復権はなかった。 アメリカ人の乗用車用語でのクオリティーは、 […]
続きを読む第二次世界大戦が終わると、敗戦国はもちろん戦勝国も国の復興優先で、大衆向けの軽自動車、欧州ではバブルカーと呼ばれる車を、雨後の竹の子のように発表した。 戦争前一般庶民の生活には乗用車がなかった日本では、欧州より数年遅れで […]
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