【車屋四六】トランジスタイグニション見参
永井電子という会社がある。60年頃、世界に先駆けて電子回転計を開発して成功。次に、日本初トランジスタイグニションを開発、会社の発展に拍車を掛けた。 ウルトラ・トランジスタイグニションの誕生は、電子回転計発売から3年ほどが […]
続きを読む永井電子という会社がある。60年頃、世界に先駆けて電子回転計を開発して成功。次に、日本初トランジスタイグニションを開発、会社の発展に拍車を掛けた。 ウルトラ・トランジスタイグニションの誕生は、電子回転計発売から3年ほどが […]
続きを読むメルセデスベンツ300がどのような乗用車か、前回の解説で既にご承知のはず。世界中に公用車として君臨したが、その300にオーナードリブン用でスポーティーな300Sが追加されたのは、意外に早い52年のパリ自動車ショー(パリオ […]
続きを読む第二次世界大戦=WWⅡが終わってほぼ10年が経った頃の日本が外貨不足で、外国車の輸入禁止だったことについては、前にふれた。新車を買えるのは、駐留軍人軍属とその家族、在日外交官や日本に居住権のある外国人、いわゆる第三国人達 […]
続きを読むいまや日本の銘ブランドであるスカイラインの初代は、昭和33年に、プリンス自動車が中型車市場に送り込んだ、当時の日本製では大型に属する乗用車だった。 二種類のグレードのうち、豪華バージョンがグロリア、あっさりエクステリアが […]
続きを読む写真トップは1956年型キャデラック。撮影は94年。バスでLA郊外のフリーウエイを走行中、懐かしさのあまり併走中を撮ったもの。 昔、藤沢の台地に戦争中からの飛行場があり、50年代、日本グライダー倶楽部が訓練をしていた。そ […]
続きを読む1970年代は、60年代まで憧れだったアメリカ車の人気が未だ我々の頭の隅に住み着いていた。 60年代の日本は、そろそろ敗戦貧乏から抜け出そうという時期だったが、日本製乗用車は実用優先で人を運ぶ道具でしかなかった。もっとも […]
続きを読む93年に本稿をカー&レジャー紙に書いているとき「電動パチンコはハタチです」とTVが紹介。ということは、電動パチンコは昭和48年生まれと云うことになる。 私が高校生の頃渋谷で夢中だった昭和30年代は、玉を左手で一個入れては […]
続きを読む神国日本がよもやの敗戦から25年、四半世紀が経った昭和45年=70年にトヨタから誕生したのがカリーナである。 「足がいいやつ・チバちゃん」というようなコマーシャルだったと記憶するが、アクションスターの千葉真一をキャラクタ […]
続きを読むドイツでは名門オペルだが、日本から失せてしまった。このオペル、ヨーロッパでは売れっ子ブランドだったのに、何故か日本での人気は上がったり下がったりである。(写真トップ:オペル・オリンピア・レコルト:WWⅡ以後、ドイツ製はも […]
続きを読むステーションワゴン(以下ワゴン)という車は何故か日本では不人気で、バブルが膨らんだ頃には見捨てられた存在になっていた。やがてバブルが弾けて乗用車販売が落ち込んだが、RVは元気だった。そのお陰か、ワゴンの存在感が徐々に育ち […]
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