【車屋四六】ポルシェスパイダーとジェームス・ディーン
49年ジュネーブショーが初お目見えのポルシェ356が911に進化。強烈なアメリカのファンに支えられて60有余年、とうとうその生涯に幕が引かれようとしている。残念なことだ。 写真は、58年のカリフォルニア・サクラメント郊外 […]
続きを読む49年ジュネーブショーが初お目見えのポルシェ356が911に進化。強烈なアメリカのファンに支えられて60有余年、とうとうその生涯に幕が引かれようとしている。残念なことだ。 写真は、58年のカリフォルニア・サクラメント郊外 […]
続きを読む日本の小型車が、世界レベルに追いついた59年生まれの初代ブルーバード310型は、後継車410型でつまずく。後進国日本で、巨匠ファリナの使い勝手優先デザインが通用しなかったのだ。 ということは宿敵コロナに敗北を喫することで […]
続きを読むルノーは日本でも有名。日産自動車を傘下にいれて親分はカルロス・ゴーン。彼はルノー&日産、両社の親方。最近では敏腕ぶりを発揮してダイムラー、ルノー、日産、三社提携で話題を呼んだ。 そんなルノーが日本で名を知られるようになっ […]
続きを読むDKWはドイツの車だから、正しい発音は”デー・カー・ヴェー”。老舗が雁首を並べるヨーロッパでは、新参者の部類に属するが、既に消えてしまったブランドだ。 会社創立は1906年と古いが、ボイラーメーカ […]
続きを読む日本初の本格的サーキットが鈴鹿に完成した翌年の昭和38年=1964年に、第一回日本グランプリが開催された。そして翌年第二回に向け、必勝を期をして開発されたのがスカイラインGT。 第二回目の観客下馬評は、そのスカイラインG […]
続きを読むいまでこそドイツ車は、ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェ、フォルクスワーゲン、どれもが日本でのトップブランド。が、50年代の終わり頃までは、フォードとオペルが人気のドイツ車だった。 アダムオペル社の戦前は、ヨーロッパ最大 […]
続きを読む日本が貧乏だった頃、そう昭和20年代から30年代前半は、自動車というものは贅沢なもので、一般庶民はせいぜいタクシーかバス。ハイヤーなんて、なかなか乗るチャンスはなかった。 まして自家用車なんぞというものは雲の上だから、ど […]
続きを読むRVという言葉が日本に定着したのは90年頃のこと。R=レクリエーショナル、V=ビークルの頭文字、言うなれば”遊び車”である。20世紀も終わりに近づき日本経済は頂点に達していた。 食べるのがやっとの […]
続きを読む写真トップは昭和36年=1963年5月4日の鈴鹿サーキット。第一回日本グランプリ・ツーリングカーレース、CⅡクラス・400㏄~700㏄以下のパドック風景である。(日本グランプリ(鈴鹿)のパドックに並んだツーリングカークラ […]
続きを読むダイハツのルーツをたどると、創業時は「発動機製造株式会社」。資本金20万円、07年=明治40年創業。要するに日本の工業黎明期に、国産エンジンを造ろう、が目的の会社である。 昭和に入り、ディーゼルメーカーとして存在を誇示し […]
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