【車屋四六】何故か忘れられるオペル
1886年創業だからオペルは老舗だが、創業時は裁縫用ミシン屋で、その実力はヨーロッパでトップ。いや世界一の生産量を誇るほどだった。そして自動車生産を始めたのが1900年。 ヨーロッパ自動車市場でもオペルは一番になるが、W […]
続きを読む1886年創業だからオペルは老舗だが、創業時は裁縫用ミシン屋で、その実力はヨーロッパでトップ。いや世界一の生産量を誇るほどだった。そして自動車生産を始めたのが1900年。 ヨーロッパ自動車市場でもオペルは一番になるが、W […]
続きを読むかつてカイザーフレイザー社について書いたことがある。造船王が戦争終結で、平和なこれからの世界を生き抜く道を探した時に、これからは自動車と決めたのだ。 早速、人材を集めて新車開発に目処を付けたが、次の課題は自動車製造工場。 […]
続きを読む近頃ではF1ドライバー、昔はグランプリドライバーと呼んだが、誰もが認める名手となればミハエル・シューマッハ。少し前ならアイルトン・セナ。我々オジンの若き頃はファン・マニュエル・ファンジオがその一人だった。 誰が上手いかは […]
続きを読む1924年発足のMG社のMGは、モーリスガレージの頭文字からとは、既に皆様ご存じのはず。当時のモーリス社は、乗用車のモーリスオックスフォードとモーリスカウリーを製造していた。 そのモーリス社でセールスマネージャーをしてい […]
続きを読む俗に云う”BC戦争”とは、単にブルーバードとコロナの戦いとだけでは済まされないものがある。敗戦の後遺症から脱出を目指した昭和20年代。先進一流国を目標に”追いつけ追い越せ” […]
続きを読む私が子供の頃~青春時代、アメリカ車は光り輝いていた。正確に云えば、40年代、50年代から60年代を少し入った頃まで。そして60年代後半~70年代、80年代でアメ車の人気が地に堕ちた。 「大食い、すぐ壊れる」はまだしも、す […]
続きを読む昔、日本の小型車の定義は1500㏄以下だった。そんな日本市場に初めて登場した1500小型車がプリンス号セダン。ブランドに”号”を付けるのは何とも古めかしいが、当時の日本製自動車には”号 […]
続きを読む昔の諺に”出る釘は打たれる”というのがあるが、シャンテはまさにそれだった。栄光に輝き世界から注目されるはずの車の運命は、ライバル達のエゴに打ち砕かれてしまった。 戦前から戦後のオート三輪市場でリー […]
続きを読む太平洋戦争を挟んで一時期、三輪貨物自動車(オート三輪)が一世風靡の時代があった。空冷エンジンが発する排気音から、東京ではバタバタの愛称で知られるが、バタコと呼ぶ人も居た。 バタバタの元祖はダイハツ、対するライバルが広島の […]
続きを読む昭和40年=65年第11回東京モーターショーで、一台のグランツーリスモが注目を浴びていた。グランツーリスモ=GTはスポーツカーではない。日本人のGTは、過激なスポーツカーだが、本来は長距離快適ツアラーで、いざ鎌倉となれば […]
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