【車屋四六】ツェッペリンはWWII中も生き残っていた
昭和4年、1929年に日本の霞ヶ浦に係留されて大騒ぎになったツェッペリンLZ127号は、マイバッハV12気筒550馬力を5基装備。世界一周三週間の旅の途中の来日で、大歓迎を受けた。 この世界一周飛行には、スポンサーが居た […]
続きを読む昭和4年、1929年に日本の霞ヶ浦に係留されて大騒ぎになったツェッペリンLZ127号は、マイバッハV12気筒550馬力を5基装備。世界一周三週間の旅の途中の来日で、大歓迎を受けた。 この世界一周飛行には、スポンサーが居た […]
続きを読む写真は75年(昭50)の東京モーターショー。本国で登場直後のマセラティメラクSS…967万円の値札が付いている。 実は、このショーは二年ぶり開催。石油ショックのあおりで、前年のショーが中止になり、75年以降、各年開催にな […]
続きを読む第一次世界大戦開始頃の代表的航空エンジンの一つ、ルローンの出力は80~110馬力だった。第二次世界大戦で登場する航空エンジンで、米国プラット&ホイットニー社のワスプ・メージャー型は3500馬力。僅か30年足らずで350倍 […]
続きを読む{冒険者たち}67年作フランス映画。アラン・ドロン、リノ・バンチューラ、ジョアンナ・シムカス主演の歴史に残る名画に、登場するのが、メルセデスベンツ220SEbカブリオレだ(写真上)。アフリカに眠る財宝捜しに出掛ける三人組 […]
続きを読むむかし{フォーカス}という言葉は、写真用語だったが、今では別の意味の日本語になっている。それは、81年10月30日写真雑紙{フォーカス}創刊が、日本語化の原因である。 芸能人、有名人を興味本位に暴露する写真記事のせいで、 […]
続きを読む日野コンテッサやパブリカが登場する61年頃から、日本に乗用車の大衆化が始まるのだが、一方でクラウン→セドリック→いすゞベレル→三菱デボネアなど、法人向け大型車(外国なら中型)が登場するのも、時代のニーズだった。 それは日 […]
続きを読むWWⅡ直後、近未来的姿で誕生するや、たちまち人気者になったジャガーXK120の後継モデルが、これから紹介するXK140である。 九州自動車博物館の写真(上)には、XK140/1953とあるが、140の製造は56~57年だ […]
続きを読むフェラーリといえば、イタリアン・スポーツカーの代表選手だの云って異論を唱える人はいなかろう。高性能で高価なGT、そしてF1レースでは、なくてならぬ立役者でもある。 創業者エンツオ・フェラーリは、WWⅡ前、アルファロメオの […]
続きを読むフェラーリを仮想敵として誕生したランボルギーニには、有名なエピソードがある。 第二次世界大戦/WWⅡから帰還して、農機機具会社で大儲けしたランボルギーニは、大の車好きだったから、世界最高のスポーツカーを、とフェラーリを買 […]
続きを読むリクリエーショナル・ビークル=RVという言葉を耳にするようになったのは、20世紀末からで、日本では、クロカンや1BOX、を指していた。 いずれにしても遊び目的のRVは、何時頃生まれたのだろうか。多分このあたりが元祖と思わ […]
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