【車屋四六】シビック誕生の頃
シビックが登場したのは、連合赤軍の妙義山リンチ事件の後、過激な残党が軽井沢浅間山荘に立てこもり、警察との攻防戦で日本中がテレビに釘付けになった昭和47年=1972年。 60年代までのホンダは、行けいけどんどん。世界二輪競 […]
続きを読むシビックが登場したのは、連合赤軍の妙義山リンチ事件の後、過激な残党が軽井沢浅間山荘に立てこもり、警察との攻防戦で日本中がテレビに釘付けになった昭和47年=1972年。 60年代までのホンダは、行けいけどんどん。世界二輪競 […]
続きを読むいまでこそ日本市場ではステイタスなBMWも、昭和30年代まではマイナーな存在。いやマイナーと云うよりは、知名度がないと云う方がよかった。 第二次世界大戦(WWⅡ)以前、素晴らしいリムジンやスポーツカーを造ったBMWらしく […]
続きを読むその昔、日本ではスクーターが来れば、シルバーピジョンでもラビットと呼んだ。小型飛行機は、例えビーチクラフトやパイパーでもセスナと呼ぶのは終戦後から現在までそのままだ。 どの市場に代名詞的存在があり、例えば昭和40年頃まで […]
続きを読むかつてプジョーは、タクシーでも走っていたから50年代は知名度があったが、その後は輸入も細々で忘れられた存在だった。 が、90年代後半になると元気を取り戻し、97年の東京モーターショーには、人目を引く古典車が展示されていた […]
続きを読むファミリアは、マツダには太い屋台骨の一本だと思う。 広島の三輪車メーカー東洋工業は、先ず軽で四輪市場に登場、昭和39年/63年の全日本自動車ショーで、本格的四輪メーカーとして名乗りを挙げ、登場したのがファミリア。 先ず6 […]
続きを読む日本は45年の敗戦以来貧乏のドン底にあえいでいたが、50年に始まる朝鮮動乱の特需景気を切っ掛けに息を吹き返した。 初代クラウンがハイタク用マスターと共に55年に登場。日産はダットサン110とオースチンA50を。戦前からの […]
続きを読む蒸気乗用車を実用的レベルに引き上げ、世界をリードしたフランスはセルポレの若死で競争から消えたが、蒸気自動車はアメリカで順調に育っていった。 ホワイト、スタンリー、ロコモビルなどが知られるが、その中で功績から判断すれば、双 […]
続きを読む「左の頬を叩かれたら右の頬をxx」は○○教の偉い坊さんの教えだが、「やられたら・やり返せ」が人類本来のモットーだと思う。が「やられる前にやれ」という積極派も居る。 で、人が二人寄れば優劣を付けたがる。教養がない奴はあから […]
続きを読む{黒猫のタンゴ}なんて変な歌が流行っていた70年/昭45、大阪万博開催の日本は景気急上昇中、そんな時代に登場したのがセリカ。 カローラ・コロナ・クラウンの連合軍で市場をリードしていたトヨタが、若者をターゲットに新規開発、 […]
続きを読むさいきん見られなくなったのは、テストコースでの新車試乗レポートだが、盛んな頃は谷田部高速自動車試験場がよく登場した。 そこは私がホンダS600で出場したJAF公認ジムーカーナ開催が65年2月だから、完成はその直前のはずで […]
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