【車屋四六】かつては日本もコピー天国 ~日産スリフト~
何度も紹介したが、北京や上海自動車ショーのレポートのように、中国の偽物というかコピーには、日本ばかりか欧米メーカーも手を焼いている。もちろん自動車ばかりではなく、コピーはあらゆる分野に及んではいるのだが。 が、偉そうに目 […]
続きを読む何度も紹介したが、北京や上海自動車ショーのレポートのように、中国の偽物というかコピーには、日本ばかりか欧米メーカーも手を焼いている。もちろん自動車ばかりではなく、コピーはあらゆる分野に及んではいるのだが。 が、偉そうに目 […]
続きを読むかつて日本には陸軍と海軍に航空隊があった。海軍のゼロ戦/三菱は世界的に有名で、戦争末期に活躍したのが紫電改/川西だった。 一方、陸軍の初期は隼で、末期は疾風、共に中島製である。 当時の私は小学生。ゼロ戦の名は戦後になって […]
続きを読む古い写真を虫眼鏡で見たら、右奥の看板が東京銀行だから、通り右側は日本橋本石町で左側宝町。推測すれば右手前は日本銀行、左側が三越で手前は三井本館、見えないが更に手前は小西六のはず。当時も一方通行で、進行方向も今と同じだ。 […]
続きを読む日産バイオレット誕生は73年。開発コード710はブルーバードの筈だが、日本経済急成長の中、各社車種増加に夢中。で、急遽開発中のブルーバード710をバイオレットに変身させたのである。 もちろん新ブルーバードは810で79年 […]
続きを読む今回は、ドイツの美しいクーペ、NSUプリンツ…撮影したのは晴海の東京国際貿易センター常設展示場前で、足場が見えるから開場寸前だったのかもしれない。多分59年頃だろう。 車には港区の仮ナンバーが。当時の輸入元・中央モーター […]
続きを読むダイハツとマツダ、共にWWⅡ後の一時期まで、日本を代表する三輪車メーカーだった。が、両車考えることは同じで、三輪車から四輪車に転向する。が、マツダの軽自動車からの出発に対し、ダイハツはいきなり小型車からという道を選んだ。 […]
続きを読む変わり種がまかり通り、それを受け入れる、国民性なのかフランスは不思議な国である。車でも、下手をすれば会社の命取りにもなりかねない斬新を、不審がらずに買う人さえ居るのである。 今回は、そんな車の一台…社名はパナール、車名は […]
続きを読むスターレットの誕生は73年だが、61年誕生のパブリカの後継ということで{パブリカ・スターレット}を名乗り、1200SRが58.5万円だった。 パブリカが誕生した頃の日本は敗戦の後遺症も薄れ、庶民にも自家用車という願望が生 […]
続きを読む人気のミニだが、小さく使いづらいという要望で64年登場したのがオースチン1100…始めて乗って「なんと広いことかと」と感心したのを憶えている。 当時輸入元は、東京渋谷富ヶ谷のキャピタル企業で、撮影場所は成田空港開港前、東 […]
続きを読むフェアレディーは日本の車だが、世界の自動車市場で空前絶後の偉業を成し遂げた車と云ったら、改めて感心という人も多いだろう。 欧州本場のスポーツカーには100年を超える歴史があるが、そのほとんどはコツコツと手作り少量生産とい […]
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