【車屋四六】ソビエト連邦の車達
その昔、自由主義国に対して鉄のカーテンと呼んで鎖国状態だったソビエト連邦、通称ソ連に大手を振って出入りしていたのが、既にご存じの高田嘉七である。 北方領土は日本の領土と云う、いわばソ連には好ましからざる人物なのだから不思 […]
続きを読むその昔、自由主義国に対して鉄のカーテンと呼んで鎖国状態だったソビエト連邦、通称ソ連に大手を振って出入りしていたのが、既にご存じの高田嘉七である。 北方領土は日本の領土と云う、いわばソ連には好ましからざる人物なのだから不思 […]
続きを読む昭和30年代というと1960年前後だが、現在青息吐息のクライスラーも、その頃は元気一杯だった。ついこの間までビッグスリーと呼んだ大メーカーを筆頭に、WWII以前からの歴史を誇るいくつものメーカーも賑やかに活躍を続けていた […]
続きを読む前に「リムジンと呼ぶ自動車のあれこれ」の話で、国家元首御用達のオーソドックスなフォーマルリムジンを紹介したが、リムジンも探してみれば色々とあるもので、今回はその辺をほじくってみよう。(ちなみに写真トップは、ベンツ600プ […]
続きを読む新規登録用謄本というのがある。今もあるのかどうか知らないが、引き出しの奥から出てきたので、懐かしく眺めていた。もっとも、売買は全て自動車屋任せという人達は見たことがないだろう。 陸運局に登録済みの自動車を、スクラップにせ […]
続きを読むスバル360を日本の名車と云っても、苦情は出ないだろう。 WWII以後、負けた国ばかりでなく、戦勝国も戦場になったヨーロッパでは経済復興優先で、雨後の筍のように、軽自動車が誕生した。が、世の中落ち着けば、一時しのぎ的軽自 […]
続きを読む昭和41年、ロンドンを訪れた時、グッドイヤーの英国工場見学ができるというので、車で1時間ほどだったろうか、ウオルバーハンプトンに出かけた。 歴史があるだけに建物は古びていたが、中に入ると、整然と並んだ機械から、流れるよう […]
続きを読む近頃あまり聞かなくなった言葉で「職人気質」というのがある。技術者が増えて、職人が減ったからなのだろうか。私は、この職人気質というのが大好きだ。 「職人気質って何だい」と聞かれたことがある。改まって聞かれると、正確には答え […]
続きを読むローマからパリのオルリー空港(まだドゴール空港はない)に着いたら、フランス・グッドイヤー社広告代理店のシャルドー社長が出迎えに来てくれていた。 彼のシムカ1000GLに乗せられて、空港からホテルに向かった。映画でしか見た […]
続きを読む1966年(昭和41年)頃の日本は、東京オリンピックも終わり、もう戦争の傷跡もほとんど消え、世の中明るさを取り戻していた。東京も、あちらこちらに散在した進駐軍の施設やキャンプも整理統合され、街を歩くGIも減り、かつてのふ […]
続きを読む僅か2年間ほどの船橋サーキットについては、前回紹介した。浮谷東次郎vs生沢徹の名勝負も紹介したが、走る車は多彩で、世界の有名レーシングカーが登場した。 日本勢の花形は、フェアレディ2000、スカイライン2000GT、ホン […]
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