【車屋四六】水中眼鏡か金魚鉢
軽自動車という言葉は日本専用で軽の規格内にある車を限定するが、規格がない外国の車もこの種の車なら軽自動車と呼ぶことにするがお許しいただきたい。 WWII以前から世界中に軽自動車があるが、特に増えたのがWWII以後だ。敗戦 […]
続きを読む軽自動車という言葉は日本専用で軽の規格内にある車を限定するが、規格がない外国の車もこの種の車なら軽自動車と呼ぶことにするがお許しいただきたい。 WWII以前から世界中に軽自動車があるが、特に増えたのがWWII以後だ。敗戦 […]
続きを読むBMWの社名の由来は前編で説明した。ついでに加えておきたいのは伝統のエンブレムと共に、も一つの伝統的アイデンティティーがあるということ。 キドニーグリルと呼ばれ親しまれてきた、あの二分割されたラジェーターグリルは、エンブ […]
続きを読む今から20年ほど前、既にBMWは憧れの車で、旦那はベンツ奥さんBMWなんて構図が出来上がり、3シリーズに乗る若い女性が増えて六本木カローラなどという呼び名も生まれていた。 が、昭和20年代30年代、いや40年代に入っても […]
続きを読む恐る恐るパトカーを追い越して、見えなくなって、アクセル全開は前回の話。その後も、私達のフィアット1500は時速150㎞でローマから走り続けていた。 ふと燃料計に目をやると針がエンドに近い。まだローマを出てから2時間も走っ […]
続きを読む初めてのローマは1966年だった。まだ成田空港がない頃、関東の国際空港は羽田空港で、羽田を出発したのが午後8時頃である。 ジャンボ登場以前、パンアメリカン航空(通称パンナム)の機体はボーイング707型で、120人しか乗れ […]
続きを読むモンタギュー公に面会、挨拶が終わると、紹介された執事が私たちの胸に青いパスを付けてくれた。 「これは主人のお客様だけのパスで色が違います・どの車も勝手に触り乗れます・展示車のほとんどは動きますから係に言いつけて外に出し屋 […]
続きを読むBEAULEUと書くが、現地の人はビューリーと発音する。ロンドンから出かけたのだから当然英語である。其処には有名な自動車博物館があり、オーナーが招待してくれたのである。 博物館のオーナーは、来日したこともある英王位継承で […]
続きを読むナンチューこと難波瑛彦がホンダに就職して仙台勤務に。彼のオペルカピタンがキャデラックになった経緯は前回。今回はキャデラックの仙台までの回送ということになる。 その日は土曜日だった。昼食を終えて茅場町のカブトオートセンター […]
続きを読む難波瑛彦(てるひこ)は、成城学園高校を卒業して慶応義塾大学にやってきた。で、私の一年後輩となる。 素晴らしい運動神経の持ち主で、馬術の日本選手権で優勝したその日の夜、私たちのアイスホッケーチームに来て、ポイントを稼ぎまく […]
続きを読む1955年、備蓄外貨が底をついて、日本政府が日本人向け外車の輸入販売を禁止したことは、何度も紹介した。そこでブローカー達の暗躍が始まり、東京芝赤坂界隈が梁山泊となった。 駐留軍関係や外交官などの二年使った車の争奪戦が始ま […]
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