【車屋四六】日本初の軽GTクーペ
1971年登場のLC10W、商品名スズキ・フロンテクーペは、日本初の軽自動車業界の本格的2座席GTだった。 初対面、その垢ぬけたプロポーションも道理、デザイナーはイタリアでカロッツェリアを創業したばかりのジョルジオ・ジウ […]
続きを読む1971年登場のLC10W、商品名スズキ・フロンテクーペは、日本初の軽自動車業界の本格的2座席GTだった。 初対面、その垢ぬけたプロポーションも道理、デザイナーはイタリアでカロッツェリアを創業したばかりのジョルジオ・ジウ […]
続きを読む夏が過ぎて秋が来る頃になると、我々は毎年「今年のイヤーカーは」を話題にする。現在、雑誌媒体が仕切る日本カーオブザイヤーと、一匹狼がポケットマネーで運営するRJCカーオブザイヤーの二つが日本を代表するイベントだが、RJC発 […]
続きを読む職業柄、新車が登場すると、広報車を借りて、私なりのデータ収集と写真を撮ること約50年間。若い頃は年間120台ということもあったが、70歳を超えて気力が衰えた近頃では年間60台前後が精いっぱいだ。 で、毎週、新車が駐まる我 […]
続きを読む日本市場でのルノーは、浮き沈みの激しいブランドで、その輸入権はジプシーのような旅の連続だった。日産がルノーの資本で立ち直り、青い目の社長が来日して、今では日本のルノーも日産傘下。 ルノーは1899年創業という老舗で、WW […]
続きを読む東京モーターショーと改名されたのは昭和39年=1964年から。それまでは全日本自動車ショーだった。その第1回目が開催されたのは日比谷公園。そして第2回、第3回の後、第4回目で後楽園競輪場に移った。 が、後楽園開催は1回だ […]
続きを読む今では日本市場に根を下ろしたボルボも、60年代はサーブと共にマニアの車、通の車だった。共にスウェーデン北欧生まれだが、後年ボルボはフォード、サーブはGMに、アメリカ資本の傘下に入った。 現在ボルボはフォードから、中国の浙 […]
続きを読む昭和20年代、日本はバイク天国だった。天国というと楽天地を連想するが、敗戦の痛手から立ちなおろうと国中がもがいている頃。便利な自動車は極少なく、結局、庶民の足は自転車、物流も自転車。そして自転車に原動機が付き、スピーディ […]
続きを読むタクシー業界で活躍したトヨペットスーパーの時代が終わり、昭和30年=1955年に初代クラウンが誕生した。OHV1453㏄48馬力は欧米のライバルと比べれば非力ではあったが、モダンな姿で、外車からの転向さえ見られるようにな […]
続きを読む“温故知新/オンコチシン”古きを温めて新しきを知る=古いことから新しい情報を得る。古い諺だが、世界中、どのジャンルにも骨董マニアという人達が存在する。 書画骨董といえばその最たるものだが、切手、煙 […]
続きを読む千葉県船橋市若松町の埋め立て地に在った”船橋サーキット”は、1965年にオープンで67年にはクローズという、短命なサーキットだった。経営が不動産会社だから利益追求だったのだろう。 日本のモータース […]
続きを読む