バンコクで出会ったクライスラー300 2020年11月14日2020年11月20日 編集部2594 2011年からバンコクの国際自動車ショーは、バンコク市内のバイテック会場から、郊外のインパクト会場に移った。日本で晴海から幕張に移ったようなもの。宿泊が会場に隣接するノボテルは便利だが、疲れを癒すマッサージにはタクシーが […] 続きを読む
バンコクで出会ったキャデラック 2020年11月8日2020年11月6日 編集部4199 日本は既に勢いを失い、世界の自動車産業の視線は中国だが、相変わらず集客数ではバンコクが最大のショーで、そこでキャデラック1941年型コンバーティブルに出会った。 日本軍の真珠湾攻撃が12月だから、その直前に生まれた車だろ […] 続きを読む
バンコクで出会ったメルセデスベンツ190SL 2020年11月7日2020年11月6日 編集部4459 毎年3月末になればバンコク自動車ショーに出かける。2011年に出会ったのがベンツ190SL。1954年~63年間で2万6681台を生産し大半が米国に渡ったが、バンコクにも。 190SLは、重要輸出先である米国意識で開発、 […] 続きを読む
ドイツ生まれのスパイカメラ・ミノックス 2020年11月1日2020年11月2日 編集部9360 古今東西、映画やTVにスパイが隠し持つ超小型カメラで機密文章や図面を撮る場面がある。名画{ローマの休日}で記者役グレゴリー・ペックが王女役オードリー・ヘップバーンを盗み撮りしたのは日本製ライター型カメラだった。 この種の […] 続きを読む
ダットサン斬新な姿は中身そのまま 2020年10月31日2020年11月2日 編集部5645 最後には神風が吹いて大勝利と、子供心に疑わなかったWWⅡに日本が降参したのが昭和20年/1945年8月15日。戦時体制から元に戻った戦勝国米国自動車産業の翌46年の生産量は300万台。一方敗戦国日本の生産量は老舗日産の2 […] 続きを読む
足が弱いフォード・コンサル 2020年10月25日2020年10月23日 編集部3676 ハナ肇のクレージーキャッツが生んだ流行語に{アッと驚く為五郎}というのがあったが、1950年/昭和25年に誕生した英国フォードのコンサルは、まさにタメゴローだった。 大昔自動車のタイヤはサイクルフェンダーがカバーしていた […] 続きを読む
BMWが青息吐息だった頃 2020年10月24日2020年10月23日 編集部2867 長いこと日本で人気が高い外車と云えば、ベンツ、BMW、VW、だろう。が、今でこそ人気絶頂のBMWにも青息吐息の時代があったことを知っているだろうか。 撃墜王リヒトフォーフェンも好んだという戦闘機エンジンを造ったBMWだが […] 続きを読む
クルマよりも遅かった飛行機の速度競争 2020年10月18日2020年10月16日 編集部3433 自動車より遅かった、という今では信じられない時代を経て飛行機も自動車同様に速度競争が始まり、WWⅠで一気に進化し、その意気込みは戦後レースに向かい、一気に速度が上昇した。 (kph=km/h=粁時・Hp=ホースパワー=馬 […] 続きを読む
車の速度上昇は青天井 2020年10月17日2020年10月16日 編集部2643 ルマン24時間レースをよそに、本来の速さを競うサーキットレースにも年々大馬力車が登場し、速度も青天井の上昇ぶりを示した。 WWⅡ開戦直前の頃、ヒトラーの国策・国威高揚の後押しで生まれたメルセデスベンツW125型が猛威を振 […] 続きを読む
ルマン24時間レースよもやま 2020年10月11日2020年10月13日 編集部2643 WWⅡ突入で、やむを得ず休業になったルマン24時間の復活は、1949年/昭和24年で、優勝はフェラーリ2ℓ…フェラーリの社長は、戦前はアルファロメオのファクトリードライバーという人物。ちなみに翌年の優勝車はタルボ。 ルマ […] 続きを読む