【車屋四六】ロータスセブン
ロータスといえば、スポーツカーでは世界的に名の知れた存在だが、スポーツカーのメッカ、イギリスでは新参者で、ジャガー同様に車好きの少年が、一代で築き上げた会社である。 日本で知られるようになったのは、第一回日本グランプリ。 […]
続きを読むロータスといえば、スポーツカーでは世界的に名の知れた存在だが、スポーツカーのメッカ、イギリスでは新参者で、ジャガー同様に車好きの少年が、一代で築き上げた会社である。 日本で知られるようになったのは、第一回日本グランプリ。 […]
続きを読む紆余曲折の後、JAFの要望に合わせて、急ぎ完成したFISCOで開催の第三回日本GPレースのメインイベントは、各社が工夫を凝らしたプロトタイプの戦いとなった。 注目はプリンスR380とポルシェ・カレラ6の一騎打ち。それに華 […]
続きを読む富士スピードウェイ、略してFISCOのこけら落としは、66年5月の連休に開催の第三回日本グランプリレースだと思っている人が多いが、実際のこけら落としは、3月開催の第四回クラブマンレース富士大会である。 が、FISCOが此 […]
続きを読む55年=昭和30年に、コロナが登場した頃の日本では「これは大衆車」と云ったところで、サラリーマンの懐は買えるほど豊ではなかった。言うなれば”絵に書いた餅”である。 日本経済の成長につれ所得が増え、 […]
続きを読む昔 “ビートルズエイジの車たち”という雑誌が自動車専門誌”くるまにあ”から出たことがある。私も一文を書いたが、要は1960年代の内外の注目車を拾ったものである。 ビートルズ […]
続きを読む文明開化以前、遠州と呼ぶ浜名湖のある浜松は、朝鮮渡来の秦(はた)一族が住み着いた木綿の産地、また茶の産地として知られた地域だった。 WWII以前、浜名湖を挟み豊田織機、鈴木織機と世界に誇る織機メーカーが存在した。世界的楽 […]
続きを読む支那事変から太平洋戦争へ→広島と長崎の原爆投下で戦争が終わった昭和20年8月15日の翌日、ボーイングB29爆撃機もノースアメリカンP51戦闘機も飛ばない青空は、昨日までのうるささとは打って変わって静寂、それが妙に不安で、 […]
続きを読む長ったらしい表題は、1966年富士スピードウェイで開催のグランプリレースの正式タイトルである。第142回で、プリンスR380とポルシェ・カレラ906の戦いの場となったGPである。 さて、第二回GPで二位ではあったが、数周 […]
続きを読む高性能エンジン造りなら日本一と自負の、プリンス自動車が惨敗したのは第一回日本GP。翌年、悔しさの中に完成のプリンス2000GTに第一回の覇者トヨタは勝ち目がない事を知ると、最新のポルシェカレラ904を空輸、プリンス勝利を […]
続きを読むWWII以前ミシンといえばシンガー、憧れのミシンだった。着物が日常の日本で、洋装をする裕福家庭向けだから、値段が高いは問題はなかった。が、戦後の洋装普及で、たくさんの国産メーカーが生まれても、高価なシンガーは庶民の憧れだ […]
続きを読む