【車屋四六】カブト虫に危機到来
現在 世界有数のフォルクスワーゲン社だが、欧州の自動車屋では歴史が浅く、ブランド継続の危機に遭遇したこともある。そんな危機を乗り越えられたのが、ゴルフの開発だった。 欧州の自動車業界でVWは新参者でも、その発足はWWⅡ以 […]
続きを読む現在 世界有数のフォルクスワーゲン社だが、欧州の自動車屋では歴史が浅く、ブランド継続の危機に遭遇したこともある。そんな危機を乗り越えられたのが、ゴルフの開発だった。 欧州の自動車業界でVWは新参者でも、その発足はWWⅡ以 […]
続きを読む正直、日本でルノーの影は薄い。輸入元がコロコロと変わったのも原因だったろう。が、陽の目を見る大きなチャンスがあった。 ヤナセがフランスモータースを設立した時である。 ルノーより知名度が低かったオペルを、短期間で年間販売数 […]
続きを読むMGの対抗馬だったからトライアンフと云えばスポーツカーと思う人が多いが、四輪メーカーは1923年からで、二輪ともなれば02年からの有名老舗なのである。 戦後乗用車メーカーとして、米国に多くのTRシリーズを輸出、折からのス […]
続きを読む写真トップは東京港区東麻布。幸いにもこの辺りは爆撃で焼けなかったから、戦前からの木造家屋の住宅街で、塀の向こうは我が家で、昭和30年代は路上駐車OKだった。 木製電柱前に駐車するのは我が愛車、1956年型ベンツ219型。 […]
続きを読む1945年/昭和20年5月ドイツ降参、8月日本降参で第二次世界大戦は終わった。兵器生産に従事したドイツの自動車工場のほとんどは爆撃され、オペルの工場も瓦礫の山と化していた。 そんなオペルの戦後は、生き残り従業員の瓦礫片付 […]
続きを読む実用的ゴルフと高級スポーティー・アウディという、本国での棲み分けが日本でも定着したようだ。が、此処まで来るには、長年の努力があったればこその賜物だったと云えよう。 スポーティーイメージの発端は、クワトロの登場以来で。乗用 […]
続きを読む写真下は1954年/昭和29年前後の銀座4丁目交差点。私が子供の頃は尾張町交差点だった…幕府の命で紀州尾張藩が埋め立てたのが、その名の由来である。 交差点で先頭を走るのはトヨペットスーパーRHK、次がオペルレコルト、最後 […]
続きを読む震災復興で最優先事項は物流の確保…関東大震災に見舞われた東京で、壊滅の電車復旧には時間が掛かる、ということでバスになった話しは既に何回かしている。 すぐに発注したフォードT型バスは、震災後半年もたたずに走り出しだのだから […]
続きを読む自動変速機/ATが当たり前の世の中になって、マニュアル変速機は、マニアックな変速機になってしまったようだ。 世界で一番早くATを普及させたのは1960年前後からの米国だが、欧州人は頑固で、未だにマニュアルに固執している人 […]
続きを読む1950年代、戦場にならなかった戦勝国米国は、世界一好景気だった。自動車産業もしかり、戦中兵器生産に明け 暮れて作れなかった乗用車の需要は旺盛で、シボレーやフォードなどの大衆車は、年産100万台を超える勢いだった。 そ […]
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