【車屋四六】ベンツ第二次世界大戦後のレース活動
日独伊三国同盟、共に戦い・共に敗戦…荒廃した国土から復興の道を歩き始めた中に、ダイムラーベンツもあった。そして復興の目処が立った頃にレース復帰を決意した。 で、戦線復帰を1954年と定めてマシーン開発に着手した。 WWⅡ […]
続きを読む日独伊三国同盟、共に戦い・共に敗戦…荒廃した国土から復興の道を歩き始めた中に、ダイムラーベンツもあった。そして復興の目処が立った頃にレース復帰を決意した。 で、戦線復帰を1954年と定めてマシーン開発に着手した。 WWⅡ […]
続きを読む20世紀中頃のステーションワゴン人気は、21世紀に入り薄れてしまった。ミニバンやSUVに人気の座を奪われてしまったのだ。 が、写真の1985年型ベンツを試乗した頃は人気者、外車ワゴンは憧れの的だった。 85年と云えば昭和 […]
続きを読む1952年の300誕生で高級車メーカーの地位を取戻したベンツは、57年に米国市場のハードトップ流行に合わせて、側面のシックスライト全ての柱を取去り、これぞ完璧というハードトップに変身した…そして燃料噴射になったエンジンは […]
続きを読むヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。 あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的 […]
続きを読む乗用車開発で避けて通れない課題が空力…いわゆるCd値というやつ。Cd=0.3前後で胸を張ったのは20世紀中、現在では0.2の領域で争っている。ちなみにジャンボジェットは0.1だ。 空力重視の最先端は飛行機だが、乗用車と共 […]
続きを読む僅か150㎞、隣町とも云える所で、なんの面識もないダイムラーとベンツが、ほぼ同時に自動車開発に成功して宿敵同士となり、町→州→ドイツ→欧州へと、熾烈な戦いの場を拡げていった。 先ず1896年、ベンツは水平対向二気筒を完成 […]
続きを読むダイムラーの二輪車が走った半年後にベンツの三輪車も走る。 「史上初は」と聞かれたら「ダイムラーとベンツ」と答えたい。お互い知らずに150㎞ほど離れた町で努力していたのだから。(トップ写真はベンツ開発の4サイクル電気点火高 […]
続きを読む19世紀は蒸気機関の世紀、20世紀は内燃機関の世紀と云える。その内燃機関は、ダイムラーとベンツが、お互い何も知らずに、わずか150㎞しか離れていない町で開発に没頭していたのだ。どちらが先?と云えば、僅かだがダイムラー、エ […]
続きを読む日本ではベンツだが、正確にはメルセデスベンツ。1926年ベンツとダイムラー合併で誕生したダイムラー社の乗用車の標章である…が、遡れば旧ダイムラー社の標章だったのだ。 が、そもそもの始まりは、オーストリアの銀行家イエリネッ […]
続きを読む{大きいことは良いことだ}…東洋一高い霞ヶ関ビル完成の68年、森永チョコレートの山本直純作曲のCMソングだが、人間には本来大きいことが最上という意識があるようだ。 自動車にも同じことが云えるだろう。天皇家のロールスロイス […]
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