片山豊よもやま話-19
片山さんが、アトランタで大歓迎を受けてからしばらくたった1998年「オトッツァンが大変だぁ」と、ケン坊から電話があった。「マッド・マイクから電話でオトッツァンが自動車殿堂に入った」というのである。テキサスで印刷業を営むマ […]
続きを読む片山さんが、アトランタで大歓迎を受けてからしばらくたった1998年「オトッツァンが大変だぁ」と、ケン坊から電話があった。「マッド・マイクから電話でオトッツァンが自動車殿堂に入った」というのである。テキサスで印刷業を営むマ […]
続きを読む単なる荷物車だったダットサントラックだが、渡米した片山さんは、海岸でピックアップトラックで遊ぶ若者を見て、「楽しい運転ができればスポーツカーだよ」「見ろこいつはフロアシフトだ、楽しく遊んでくれ」と、難攻不落の米国市場の一 […]
続きを読む「オトッツァンの事務所の壁にZ旗が」とは、片山一家壱の子分・佐藤健司ことケン坊。Z旗とは万国船舶信号旗用アルファベット最後の一文字だが、日本では「興国の興廃この一戦にあり…」の名句で知られる旗じるし=強敵ロシア・バルチッ […]
続きを読むアメリカ人は基本大型車大好きだが、買えない階層もいる。で、中古車を買うがアメリカ車はアフターサービスが悪い…整備悪けりゃ燃費も悪化。で見直されたのが丈夫で燃費が良い日本車。その評判がフォルクスワーゲを上回るようになり51 […]
続きを読む片山さんが渡米した頃のクルマはダットサン110型/1ℓで、それが進化して210型/1.1ℓになっても、市内では問題ないが、フリーウェイは怖くて走れない…遅い、加速悪い、ブレーキ効かない。 そうこうしているうちに、ブルーバ […]
続きを読む片山さんは、アメリカでの市場調査報告をしながら、いよいよ本格的販売開始をと組織作りを始めたある日、自動車ショーで熱心にブルーバードを見る白人に声をかけると、後日会いたいという。 「私はルノー販売の総支配人だが日産車に興味 […]
続きを読むさて渡米した片山さん、アメリカでブルーバードなんて名はインパクトがない、ましてスポーツカーにフェアレディなんて女々しい名前は駄目。日本名は子音が多すぎる。爆発音が多い母音でと考えたら「ダットサンがあるじゃないか」で、米国 […]
続きを読む日産から辞令を受けた片山さんは、1960年/昭和35年3月に渡米した。当時のアメリカ人は日本車などに興味がなく、売るに売れないので、トヨタの米国法人は休眠状態だった。「トヨペットという名前を米国人はトイペットと覚えて印象 […]
続きを読む日産というより片山さんの豪州ラリー挑戦は、ダットサン210型2台。昔から世界では競争自動車のドライバーは紳士で尊敬の対象。そこでオトッツァンは参加ドライバーに教養・マナーが身についており、競技経験もあるSCCJ会員をと考 […]
続きを読む麻生家とは縁戚関係があり、日産コンツェルン総帥鮎川義介は、幼少期から知る豊少年にカリスマ性あるを認めたのだろう、慶応大学を卒業すると日産自動車に入社させたことを以前に書いた。 WWⅡ前の企業には宣伝広告などという意識はな […]
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