【車屋四六】スポーツカーからグランツーリスモへ
快適機能排除性能優先がスポーツカー本来の姿。フェアレディーも2000までは全てそれ。古典的な解釈で開発され、スパルタンと云う言葉が似合う日産最後の量産スポーツカーだった。 スポーツカーは重量級、軽量級の違いがあっても、レ […]
続きを読む快適機能排除性能優先がスポーツカー本来の姿。フェアレディーも2000までは全てそれ。古典的な解釈で開発され、スパルタンと云う言葉が似合う日産最後の量産スポーツカーだった。 スポーツカーは重量級、軽量級の違いがあっても、レ […]
続きを読む20世紀中、乗用車の動力源と云えば電池、ガソリン&ディーゼルエンジン、そして電池とエンジンがコラボしたハイブリッド。世紀中、他にも多くの動力源開発があったが成功したのは少ない。 残念だったのがロータリーエンジン。実用化そ […]
続きを読む1960年代初頭、スポーツカーといえば本場はイギリス、そしてドイツやイタリアで、日本製は世界で通用せず、というよりも日本人の我々でさえ馬鹿にしていたという方が適切な表現である。 が、それが一変したのが63年。切っ掛けは5 […]
続きを読む63年3月6日付け本紙に初代セリカについて書いたことがある。 初代の誕生は70年=昭和45年だが、その頃の日本は、敗戦の痛手からどうやら立ち直りが感じられるようになった頃だった。 昭和41年にサニーやカローラ誕生、長年の […]
続きを読む写真の車が、なんだか判る人は滅多にいないだろう。 1953年型キャデラック・クーペだが、世界にたった一台しかないのだから、判らないのも当然である。 正しい名前を、キャデラック・ギア・クーペと呼ぶように、イタリアの名門カロ […]
続きを読む97年のこと、カー&レジャー紙に“サヨナラTバード”という記事を見つけた。前年の生産量8万台、日本なら問題ないだろう売り上げだが、当時のフォードにとっては問題児。ということでリストラされたのである。 Tバード=サ […]
続きを読む日本初の本格的レース場、鈴鹿サーキットで63年に開催された日本グランプリで、日本のモータースポーツに火が点いた。その火は年々燃えさかるが、70年代半ば、その火に水が注がれる。 アメリカ発祥の排気ガス規制というやつに、日本 […]
続きを読む今や四輪駆動は常識的駆動方式の一つだ。その四駆、一般的に元祖はアメリカ軍のジープという印象だが、アメリカ軍は39年にポーランドに侵攻したドイツ軍から学び、慌てて開発したもの。 が、自動車先進国アメリカ軍は慌てたが、自動車 […]
続きを読む以前、紹介したように好調に売り上げを伸ばし、アメリカ第三位メーカーになるかと見えたハドソンだが、そうは問屋が卸さなかった。(そうは問屋が…江戸時代卸値は問屋が決め値引きしないことから“物事望むようにはいかない”の喩え) […]
続きを読む“小さな高級車”と銘打ちトヨタからプログレ登場は98年。それから9年間、2007年に引退して後継車がないのは困ったものだ。 クラウンとプラットフォームを共用、全幅1700㎜の5ナンバーサイズをセルシオレベルで仕上げたユニ […]
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