【車屋四六】エルビス・プレスリーの愛車
初めてこのキャデラックを見た時は驚いた。ナンバープレートにELVISの文字。側に立つ人形はエルビスプレスリー(写真下)。 当のキャデラックは、1976年型フリートウッド・エルドラド。 キャデラックシリーズ中で、リムジンを […]
続きを読む初めてこのキャデラックを見た時は驚いた。ナンバープレートにELVISの文字。側に立つ人形はエルビスプレスリー(写真下)。 当のキャデラックは、1976年型フリートウッド・エルドラド。 キャデラックシリーズ中で、リムジンを […]
続きを読む古今東西、自動車の本は沢山あるが、第二次世界大戦中の5年間はほとんど空白。日、独、仏、伊、英、米、自動車生産国総てが参戦、参戦すれば総力上げて兵器生産に明け暮れたからである。 自動車屋は、戦車や装甲車、ジープ、軍用トラッ […]
続きを読むどこの国でも、自動車とは初めは金満家御用達で次ぎに裕福な人達、そして中産階級から大衆へと普及していく。その過程は自動車発祥のヨーロッパから現在まで共通である。面白いことに、中産階級から大衆に広がる時期に入ると、車を飾るア […]
続きを読む近頃の機械は複雑でややこしい。電子制御など付いてればなおさらで、素人には手に負えないものになってしまったが、私が若い頃の機械は単純明快で親しみが持てた。 自動車だって、少々のことなら分解修理調整組み立てなど楽しみながらや […]
続きを読むシビックが登場したのは、連合赤軍の妙義山リンチ事件の後、過激な残党が軽井沢浅間山荘に立てこもり、警察との攻防戦で日本中がテレビに釘付けになった昭和47年=1972年。 60年代までのホンダは、行けいけどんどん。世界二輪競 […]
続きを読むいまでこそ日本市場ではステイタスなBMWも、昭和30年代まではマイナーな存在。いやマイナーと云うよりは、知名度がないと云う方がよかった。 第二次世界大戦(WWⅡ)以前、素晴らしいリムジンやスポーツカーを造ったBMWらしく […]
続きを読むその昔、日本ではスクーターが来れば、シルバーピジョンでもラビットと呼んだ。小型飛行機は、例えビーチクラフトやパイパーでもセスナと呼ぶのは終戦後から現在までそのままだ。 どの市場に代名詞的存在があり、例えば昭和40年頃まで […]
続きを読むかつてプジョーは、タクシーでも走っていたから50年代は知名度があったが、その後は輸入も細々で忘れられた存在だった。 が、90年代後半になると元気を取り戻し、97年の東京モーターショーには、人目を引く古典車が展示されていた […]
続きを読むファミリアは、マツダには太い屋台骨の一本だと思う。 広島の三輪車メーカー東洋工業は、先ず軽で四輪市場に登場、昭和39年/63年の全日本自動車ショーで、本格的四輪メーカーとして名乗りを挙げ、登場したのがファミリア。 先ず6 […]
続きを読む日本は45年の敗戦以来貧乏のドン底にあえいでいたが、50年に始まる朝鮮動乱の特需景気を切っ掛けに息を吹き返した。 初代クラウンがハイタク用マスターと共に55年に登場。日産はダットサン110とオースチンA50を。戦前からの […]
続きを読む