【車屋四六】日本初グランプリ、スズライトフロンテ水面下の必勝作戦
{所詮レースはアマチュアのものメーカー不参加}の協定が自工会参加メーカー間で取り交わされたが、こいつはあくまでも紳士協定で、真に受けて惨敗の筆頭がプリンス自動車だった。 当時市場の巨頭、日産は初参加のサファリ優先の姿勢に […]
続きを読む{所詮レースはアマチュアのものメーカー不参加}の協定が自工会参加メーカー間で取り交わされたが、こいつはあくまでも紳士協定で、真に受けて惨敗の筆頭がプリンス自動車だった。 当時市場の巨頭、日産は初参加のサファリ優先の姿勢に […]
続きを読む日本初日本GPで、矢のように走るロータス23の後方で、フェラーリ、アストンマーチン、ポルシェカレラ、ジャガーDを、プロドライバーが操る三つどもえの戦いは、華麗なロータスとは対比的豪快さが、たっぷりと味わえた。 いずれにし […]
続きを読む日本自動車史上で有名なBC戦争(ブルーバードvsコロナ)が、日本初のグランプリで見られなかったのが残念だった…出場したクラスが違っていたからである。 もっとも同クラスだったとしても、日産に勝ち目はなかったろう…準備万端コ […]
続きを読む昔日本市場でナンバー1は日産で、それを追うトヨタが打倒ダットサンを目標に開発したのがコロナだが、初代はダットサンの敵ではなく、二代目もブルーバードに惨敗した。 そのコロナのウイークポイント、弱いという評判は、悪路で酷使す […]
続きを読む日本初のグランプリレースとあって、二日間で鈴鹿に観客が20万人。何しろ全てが初めて。走る人達は、腕自慢の街乗りドライバーや舶来スポーツカーを持つ金満家達だった。 そして、家から鈴鹿に走ってきた車でレースが終われば、そのま […]
続きを読む君が代斉唱と国旗掲揚で教育委との板挟みで高校校長が自殺したことがある。それが尋常小学校に義務付けられたのは、昭和12年/1937年だった。だが、戦前と戦後では環境が違う。今の若者達が歌ったところで、いまさら軍国主義が復活 […]
続きを読む大正11年/22年、ライトの名建築・帝国ホテルがオープン。 大正12年、東洋一のオフィスビルが総工費1100万円で丸の内に完成、通称{丸ビル}が東京駅前の三菱ケ原にそびえ立った。 その二棟のビルが、別の意味で素晴らしさを […]
続きを読む以前、72年ガム島で横井庄一軍曹発見を紹介した。28年もジャングルに隠れ住んだ話し、これで終わりと思ったら、二年後の74年に未だ続きがあった。 中野学校で鍛えられた筋金入り情報将校、小野田寛郎少尉が、フィリピンのルバング […]
続きを読むアメリカで人気が高いアコードの誕生は1976年5月だが、2月にアメリカ上院でコーチャンという人が、ペラペラ喋ったことからロッキード事件が始まった。 7月田中角栄首相逮捕で元気満々の田中内閣が消滅して、暫く経った或日、軽飛 […]
続きを読む戦争が終わったのに、28年間もジャングルに潜んでいた元日本陸軍の横井庄一軍曹がグアム島で発見された。 「恥ずかしながら」の帰国第一声が話題になった昭和47年/1972年に誕生したのがスバル・レックス。 当初はツードアのみ […]
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