【車屋四六】アメリカの珍しい純粋スポーツカー
戦前戦後を通じて、アメリカには純粋なスポーツカーというものは無かった。もちろん、プロトタイプや少量生産のバックヤードビルダー的なものはあるが、アメリカが得意とする流れ作業による量産スポーツカーは無かったということ。 が、 […]
続きを読む戦前戦後を通じて、アメリカには純粋なスポーツカーというものは無かった。もちろん、プロトタイプや少量生産のバックヤードビルダー的なものはあるが、アメリカが得意とする流れ作業による量産スポーツカーは無かったということ。 が、 […]
続きを読むこれだけは忘れてはいけないという歴史的価値のある車が、各国、各時代にある。史上初、革新的、記録樹立、いうなればエポックメイキングをやらかした車と云えるかもしれない。 自動車の世界ではダイムラーの二輪車、ベンツの三輪車は、 […]
続きを読む太平洋戦争に日本が負けて、米軍主体の連合国軍が占領にやって来た。そして米兵が町に出てくるようになると、最初に子供達が憶えたのは「ハロー」と「ジープ」そして「ギブミーチョコレート」。今にして思えば屈辱的英会話である。 初め […]
続きを読むせっかくソ連から親友高田嘉七が、たくさんの写真を撮ってきてくれたのだから、もう少し紹介しよう。 彼の撮影は1987年。当時のソ連は、85年誕生のゴルバチョフ政権で、スローガンはペレストロイカ=改革、グラスノスチ=情報公開 […]
続きを読むその昔、自由主義国に対して鉄のカーテンと呼んで鎖国状態だったソビエト連邦、通称ソ連に大手を振って出入りしていたのが、既にご存じの高田嘉七である。 北方領土は日本の領土と云う、いわばソ連には好ましからざる人物なのだから不思 […]
続きを読む昭和30年代というと1960年前後だが、現在青息吐息のクライスラーも、その頃は元気一杯だった。ついこの間までビッグスリーと呼んだ大メーカーを筆頭に、WWII以前からの歴史を誇るいくつものメーカーも賑やかに活躍を続けていた […]
続きを読む前に「リムジンと呼ぶ自動車のあれこれ」の話で、国家元首御用達のオーソドックスなフォーマルリムジンを紹介したが、リムジンも探してみれば色々とあるもので、今回はその辺をほじくってみよう。(ちなみに写真トップは、ベンツ600プ […]
続きを読む新規登録用謄本というのがある。今もあるのかどうか知らないが、引き出しの奥から出てきたので、懐かしく眺めていた。もっとも、売買は全て自動車屋任せという人達は見たことがないだろう。 陸運局に登録済みの自動車を、スクラップにせ […]
続きを読むスバル360を日本の名車と云っても、苦情は出ないだろう。 WWII以後、負けた国ばかりでなく、戦勝国も戦場になったヨーロッパでは経済復興優先で、雨後の筍のように、軽自動車が誕生した。が、世の中落ち着けば、一時しのぎ的軽自 […]
続きを読む昭和41年、ロンドンを訪れた時、グッドイヤーの英国工場見学ができるというので、車で1時間ほどだったろうか、ウオルバーハンプトンに出かけた。 歴史があるだけに建物は古びていたが、中に入ると、整然と並んだ機械から、流れるよう […]
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