【車屋四六】梁山泊に灯がともる
終戦直後の進駐軍は治外法権、車輌は軍の記号だけで勝手に走っていた。もちろん日本の車は登録ナンバーが必要である。 やがて、占領業務が一段落すると、軍人軍属のプライベートカーも、一応陸運局に登録(といっても形式的にだが)する […]
続きを読む終戦直後の進駐軍は治外法権、車輌は軍の記号だけで勝手に走っていた。もちろん日本の車は登録ナンバーが必要である。 やがて、占領業務が一段落すると、軍人軍属のプライベートカーも、一応陸運局に登録(といっても形式的にだが)する […]
続きを読む日本が敗戦で国中が貧乏のどん底に突き落とされてからの数年間の食糧事情は酷いもので、配給の食料だけでは足りなかった。正義感で頑張った正直判事の餓死がニュースになったほど。 だからアメリカの食料援助などで食いつないでいる日本 […]
続きを読む日本自動車がハドソンとフィアットの日本総代理店、ダンロップタイヤの日本総代理店ということを前回紹介した。 日本自動車の小川社長には、元気はつらつのお嬢さんがいて、名前は確か厚子さん。その頃では珍しい、グライダーの女流パイ […]
続きを読む未だ東京タワーが建つ前、桜田通りの三軒の外車ディーラー、日仏自動車と日本アメリカン自動車については、既に説明した。残るは三軒目の新朝日自動車になった。 所在地の琴平町なる町名は、江戸時代から鎮座まします金比羅大神宮に由来 […]
続きを読む日本橋を起点に、銀座、新橋、品川、最後は大阪に到着する国道一号線と、札の辻でぶつかるのが桜田通りだが、三田の慶応義塾前から赤羽橋、飯倉、虎ノ門、最後が桜田門だから桜田通りと呼ぶ。桜田門は、井伊大老が水戸浪士に天誅を加えら […]
続きを読むWWII前の日本製乗用車といえば、大型ではトヨタと日産、小型ではダットサンやオオタなどだが、戦争中の5年間のブランクが過ぎれば、おそろしく旧態依然とした車になってしまっていた。 もちろん勤勉な日本人のこと、戦後の混乱の最 […]
続きを読む「車は戸塚にある」というので、戸塚に行って驚いた。腹が立った。戸塚並木のガソリンスタンドに、私が愛したジャガーが埃だらけで放置されていた。 ガソリン屋の親父は、私たちを修理業者と知って「曳いて帰らなきゃ駄目だよ」と云うよ […]
続きを読む前回、メッサーシュミットで銀座のチロルに出勤するボコさんの話を書いた。そんなチロルで、思いだした話がある。 「貴方が犯人だったのですね」。ある日チロルにぶらりと入ると、いきなり洒落た紳士に声をかけられた。その日は、たまた […]
続きを読む今でこそ若者が集うお洒落な街は原宿、青山、六本木などだが、戦前戦後、お洒落な街といえば銀座だった。銀座は、日本の幹線道路、国道一号線を挟んだ街でもあった。 徳川家康の江戸が生まれて、それまでの京都中心が江戸中心になり、道 […]
続きを読むアメリカ人は、言葉を短縮するのが好きだ。テレビジョンをTV、コカコーラをコークというように、1955年突如登場したフォードのサンダーバードも”Tバード”と呼ぶようになった。 1955年といえば昭和 […]
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