平凡パンチ創刊の頃―昭和39年
平凡出版(現マガジンハウス)のユニークな男性向け週刊誌「平凡パンチ」の創刊は、1964年/昭和39年4月28日のこと。 パンチのターゲットは団塊世代男性で、ファッション・風俗・スポーツなどの情報提供だった。さらにニッポン […]
続きを読む平凡出版(現マガジンハウス)のユニークな男性向け週刊誌「平凡パンチ」の創刊は、1964年/昭和39年4月28日のこと。 パンチのターゲットは団塊世代男性で、ファッション・風俗・スポーツなどの情報提供だった。さらにニッポン […]
続きを読む川の歴史を知り、川の自然と親しむ 現代の物資の流通を担っているのは高速道路だが、半世紀前は鉄道、そしてそれ以前に大きな役割を果たしていたのが水運。人々の生活から切り離されて、せいぜい河川敷がレジャーの場所となっているくら […]
続きを読む2030年代に向けて、カーボンニュートラルは必至の情勢となっている。電気自動車や燃料電池車が主役であり、ガソリン、軽油をメインとした内燃機関はやがて消滅するといった状況が予想されている。しかしながら、これほど低コストで利 […]
続きを読む永世中立国ゆえに自国製兵器や飛行機が必要で、開発した飛行機もWWⅡが終わってみれば需要減退。で、自動車をという手段は良くある手だが、敗戦で飛行機開発製造禁止の日独とは違うから、飛行機も自動車もという理想的発展となった。 […]
続きを読む実用性を犠牲にすることなく身体能力がさらに向上 ゴルフの初代モデルから設定が始まり、今や名称そのものがひとつのブランド化しているとも受け取れるのが、『GTI』の3文字を与えられたハイパフォーマンスが売り物のフォルクスワー […]
続きを読む1937年創業のサーブはSvenska Aeroplan Aktiebolget=スエーデン飛行機製造会社だから飛行機屋である。永世中立国の国策上、専守防衛で自国製飛行機が必要で、以前紹介したB17型攻撃機を開発したが、 […]
続きを読むWWⅡ後、淘汰が進む米市場で勝ち残ったのは、ビッグスリーと呼ぶ、GM・クライスラー・フォードの三社だった。 今ではビッグツーになって、クライスラーはフィアットの傘下だが、戦後の一時期、フォードを押さえて米国二位の地位を張 […]
続きを読む鮎川義助を知る人も少なくなった。明治13年山口生、東京帝大卒、明治43年戸畑鋳物社長、昭和3年日本産業創業…一代にして日本を代表する日産コンツェルンを築き上げた偉人である。 その一環で日本に乗用車産業が必要と日産自動車を […]
続きを読む自動車は歯車を切り替える変速機の時代が長く続いたが、1950年代になるとノークラッチ=オートマチック変速機=ATの普及が始まり、次ぎに到来したのが無段変速機CVTだった。 「自動車はドイツで生まれフランスが育てた」と云う […]
続きを読むWWⅡ中、軍用トラックや飛行機発動機で国に貢献したスチュードベイカーは、他社同様、戦後、即自動車造りに戻った。そして1947年には、ライバルに先立ち戦後のモデルを発表する。 それはレイモンド・ローウィが関わる作品の始まり […]
続きを読む