【車屋四六】アメリカのオースチン
1906年にハーバート・オースチンがオースチン社を創業、22年に送り出したオースチン・セブンは、以後39年までという長きにわたり造り続けて、世紀の傑作となる名車だった。 セブンが受けたのは、小型軽量廉価高性能、そして四輪 […]
続きを読む1906年にハーバート・オースチンがオースチン社を創業、22年に送り出したオースチン・セブンは、以後39年までという長きにわたり造り続けて、世紀の傑作となる名車だった。 セブンが受けたのは、小型軽量廉価高性能、そして四輪 […]
続きを読む東名高速が未だない頃、東京から東海道への道筋は、日本橋起点で品川→横浜と行くのが第一京浜国道だが、昭和20/30年代、トラックが多くなり、乗用車族は五反田から横浜という第二京浜国道を走るようになった。(♪夜霧の第二国道/ […]
続きを読むWWⅡ直前、日本の小型車製造は日産とオータが主力で、トヨタは大型車専門で小型の経験はなく、戦争中は、もっぱら軍用自動車やトラック、そして民需のトラックやバスを作っていた。 敗戦でGHQ/連合軍最高司令部が禁止した乗用車の […]
続きを読む1963年5月3日の鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリレースで、観客の大半がカルチャーショックを受けた。 日本での、国際的モータースポーツのコケラ落としともいうべき行事は、前年オープンしたばかりの日本初の本格的サー […]
続きを読む63年5月4日、日本初のGPレースなのに退屈レースがあった。 ツーリングカー1000~1300ccクラスで、VWビートルのワンメイクの様相を呈していたからだ。 同クラスのブルーバードが、疾走するVWをよそに、後の方を我関 […]
続きを読む日本初のGPで{メーカー参加せず}の紳士協定を守った会社、水面下で準備した会社、その準備万端組みの最たる会社がトヨタだった…それも全階級制覇狙いだった。 既にクラウンとコロナについては報告したが、今回はツーリングカー40 […]
続きを読む{所詮レースはアマチュアのものメーカー不参加}の協定が自工会参加メーカー間で取り交わされたが、こいつはあくまでも紳士協定で、真に受けて惨敗の筆頭がプリンス自動車だった。 当時市場の巨頭、日産は初参加のサファリ優先の姿勢に […]
続きを読む日本初日本GPで、矢のように走るロータス23の後方で、フェラーリ、アストンマーチン、ポルシェカレラ、ジャガーDを、プロドライバーが操る三つどもえの戦いは、華麗なロータスとは対比的豪快さが、たっぷりと味わえた。 いずれにし […]
続きを読む日本自動車史上で有名なBC戦争(ブルーバードvsコロナ)が、日本初のグランプリで見られなかったのが残念だった…出場したクラスが違っていたからである。 もっとも同クラスだったとしても、日産に勝ち目はなかったろう…準備万端コ […]
続きを読む昔日本市場でナンバー1は日産で、それを追うトヨタが打倒ダットサンを目標に開発したのがコロナだが、初代はダットサンの敵ではなく、二代目もブルーバードに惨敗した。 そのコロナのウイークポイント、弱いという評判は、悪路で酷使す […]
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