【車屋四六】二代目カローラ
昭和30年代前半に誕生したブルーバードやコロナは「大衆登場」と宣伝したが、一般大衆に車が買えるほどの所得はなかった。 昭和20年終戦、戦後の後遺症が徐々に消えて30年代に入ると経済成長期に入り、末期になれば庶民の願望“三 […]
続きを読む昭和30年代前半に誕生したブルーバードやコロナは「大衆登場」と宣伝したが、一般大衆に車が買えるほどの所得はなかった。 昭和20年終戦、戦後の後遺症が徐々に消えて30年代に入ると経済成長期に入り、末期になれば庶民の願望“三 […]
続きを読むトヨタ2000GTが挑戦する記録は、6時間・1000マイル・2000㎞・12時間・2000マイル・24時間・5000マイル・48時間・1万㎞・72時間・1万5000㎞・1万マイル/1万6000㎞。 訓練を重ねたピット作業 […]
続きを読むエノケン・ロッパ・シミキンと云えば、昭和の三大喜劇王である。 シミキンは、美空ひばりの才能を見抜き単なる物真似歌手から大歌手へ育てた人物だが、54才という若さで早逝した。 そのころ{うちのテレビにゃ色がない}という、エノ […]
続きを読む官民一体の陰謀の餌食になったタッカーは、告訴されて世間からの注目を浴びるが、その間もマスコミは非難の手をゆるめず“工場内は設備もなく車など生産されていない”と報じた。 が、工場は稼働しており、タッカーは生産されていた。 […]
続きを読むWWⅡが終わる六ヶ月ほど前のこと、日本の降伏を見越したルーズベルト大統領は、デトロイトの首脳陣に対して「自動車企業の巨大化は好まない・会社は競争すべきである」と説いた。 そこでタッカーは、新興企業が自動車市場に参入するチ […]
続きを読むタッカーとは不愉快な車である…フランシス・コッポラとジョージ・ルーカスがコンビの88年作{タッカー}の日本公開があったが取材で駄目…招待状は長男へ…帰宅した長男が「面白かった」を連発するので不愉快きわまりないのである。 […]
続きを読む{お湯を掛けて三分間}有名なCFで登場した即席チキンラーメンは、世界的な大発明になった。それが登場した昭和33年/1958年、アメリカでフォードの画期的乗用車が誕生した。 フォード・エドセルだが「エゼルだよ」というアメリ […]
続きを読むサイドカーから大衆車のコーチビルドへと、着々成功しながらステップアップするライオンズ青年の次の目標は、自前の四輪乗用車の開発だった。 1931年ロンドンの自動車ショーで、一台の高級車が脚光を浴びていた…SS1と名付けられ […]
続きを読む昭和2年/1927年、全世界の自動車保有台数(含貨物)は2458万9249台。大半が米国で2005万台、二位81.6万台英国、三位73.5万台フランス、四位71.6万台カナダだが、9万2698台の日本は当時まったくの自動 […]
続きを読むこの車、日本で見た人は希だろう。私も二回ほどしか見ていない。その名を、オースチンA40スポーツと呼ぶ。写真(トップ)は53年型だが、50年頃から造られているようだ。 オースチンと云えば日産との関連を思いだす。WWⅡ前のオ […]
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