片山豊と米国自動車殿堂
カー&レジャーwebサイトで度々登場する片山豊…その取り巻き連中は「オトッツァン」と呼び勝手に子分と決めている。その子分の筆頭は佐藤健司=通称ケン坊。慶応自動車部戦後の後輩と戦前の大先輩、誰が見ても生涯親分子分と […]
続きを読むカー&レジャーwebサイトで度々登場する片山豊…その取り巻き連中は「オトッツァン」と呼び勝手に子分と決めている。その子分の筆頭は佐藤健司=通称ケン坊。慶応自動車部戦後の後輩と戦前の大先輩、誰が見ても生涯親分子分と […]
続きを読む日本には記念すべき初代一号車を保存する自動車会社は少ないが、世界の老舗は反対である。そのほとんどは門外不出なのに、北欧の珍しい一台がトヨタ博物館にはある。そのサーブ92は、2000年/平成12年にサーブから寄贈され、その […]
続きを読む20世紀中東京駅前の名所だった旧丸の内ビルヂング、通称丸ビルが完成したのは1922年/大正11年。三菱ヶ原にそびえ立つ九階建ては東洋一のオフィスビルだった。 1923年9月1日・午前11時58分、丸ビルの頑丈さが実証 […]
続きを読む20世紀末、日本で高級スポーツカーといえば、フェラーリ、ベンツ、ジャガーなどで、21世紀入りアストンマーチン、そして近頃マセラティが目につき始めた。マセラティの市販スポーツカー販売はWWⅡ以後だが、歴史的には戦前からの長 […]
続きを読む日支事変(日中戦争)が勃発した昭和12年/1937年、米国レイクハーストに定期旅客飛行船ヒンデンブルグ號が到着したが、係留作業中に炎上、世界を騒がす話題となった。この炎上の原因は、間接的だが米国。それはスペイン内乱でフラ […]
続きを読む全国7457館、昭和30年/1960、日本映画界は絶頂期を迎えていた。松竹、東宝、日活、東映,、夢を生む憧れの米国や欧州の映画…映画は戦後最大の大衆娯楽で、何処も満員盛況だった。 そんな60年にフランスで登場したのが戦後 […]
続きを読む平凡出版(現マガジンハウス)のユニークな男性向け週刊誌「平凡パンチ」の創刊は、1964年/昭和39年4月28日のこと。 パンチのターゲットは団塊世代男性で、ファッション・風俗・スポーツなどの情報提供だった。さらにニッポン […]
続きを読む永世中立国ゆえに自国製兵器や飛行機が必要で、開発した飛行機もWWⅡが終わってみれば需要減退。で、自動車をという手段は良くある手だが、敗戦で飛行機開発製造禁止の日独とは違うから、飛行機も自動車もという理想的発展となった。 […]
続きを読む1937年創業のサーブはSvenska Aeroplan Aktiebolget=スエーデン飛行機製造会社だから飛行機屋である。永世中立国の国策上、専守防衛で自国製飛行機が必要で、以前紹介したB17型攻撃機を開発したが、 […]
続きを読むWWⅡ後、淘汰が進む米市場で勝ち残ったのは、ビッグスリーと呼ぶ、GM・クライスラー・フォードの三社だった。 今ではビッグツーになって、クライスラーはフィアットの傘下だが、戦後の一時期、フォードを押さえて米国二位の地位を張 […]
続きを読む