名門マセラティと3500GT

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20世紀末、日本で高級スポーツカーといえば、フェラーリ、ベンツ、ジャガーなどで、21世紀入りアストンマーチン、そして近頃マセラティが目につき始めた。マセラティの市販スポーツカー販売はWWⅡ以後だが、歴史的には戦前からの長い歴史に飾られた名門競争自動車メーカーだったのだ。

1897年のイタリアで、6人兄弟の長男が単気筒発動機を完成、自転車に取付けて走るのを見たボローニアの貴族が出資、二輪車メーカー誕生…それが各地レースで優勝。が、1900年/明治33年になるとフィアットに入社して四輪の勉強を始めた。さらに弟たちもイソタフラスキーニ社で勉強を始めた。

1913年、その兄弟達の会社が誕生するが、おりからのWWⅠ開戦で車が作れない。で、イソタフラスキーニ社の航空発動機開発に協力するかたわら、絶縁体が雲母の点火栓を発明した。

これが好評で、終戦後も自動車も含めて需要旺盛。兄弟の懐は潤沢に成り、競争自動車開発に成功するのが22年だった。そして当時の強豪、アルファロメオやフィアットを破り優勝する。

それからは順風満帆、26年からマセラティを名乗り、ボローニア市の紋章であるネプチューンの三つ叉鉾をエンブレムに、優勝街道をまっしぐらに走り、勝ち星を重ねていった。

WWⅡで中止していたレースは終戦で活動再開…再びグランプリ街道をまっしぐら。マヌエルファンジオ、スターリングモスなど伝説の名手も生まれるが、会社は57年に転機を迎える。金の掛かるレース活動を支えるのに、高級スポーツカーを開発販売するという、二足のワラジ的経営を開始した…誕生したスポーツカーの名は、マセラティ3500GTだった。

カロッツェリア・ビニヤーレの流麗な3500GTは、ソ連が人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した57年に誕生した。直6DOHC・3485cc・ウエーバーキャブ三連装で230馬力・最高速度220㎞は、当時市販スポーツカーでは最速だった。

63年、このGTはGTiと名変する…ウエーバー三連装からルーカス製燃料噴射で235馬力にパワーアップし、最高速度も235㎞に。

2227台生産された3500GTのうち写真のカロッツェリア・ツーリング製2+2クーペは1978台:当時のライバルはフェラーリだったが戦前からの知名度があるマセラティが有利だったそうだ。

御承知のように、スポーツカー最大の市場は米国、ということでマセラティのGTは、遂に5ℓ・V型八気筒を搭載、5000GTを名乗るが、その頃の市販スポーツカーとしては、史上最強・最豪華GTと云われたものだった。

初めて日本に正規輸入されたマセラティ3500GTiは800万円程だった。エージェントは赤坂虎屋より少し見附寄りの新東洋企業で、ジャガーやフェラーリ、サーブなどを扱っていた。私はそこで58年型ジャガーMK-IIを買ったことがある。

WWⅡ前の黄金期は1930年代で30年登場の8C-2500が大活躍した。写真は32年登場8C-3000:直八+加給機・2992cc・230馬力/独ロッソビアンコ博物館蔵。奧にブガッティ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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