ボアザン・飛行機屋から自動車屋へ

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1920年代~30年代のハリウッド大スター・ルドルフバレンチノ、パリで一世風靡のジョセフィンフィンベイカー、フランス大統領など金満家御用達のフランス製高級車があった。その名はボアザン。

1880年生まれのシャルル・ボアザンは飛行機に興味を持ち1899年グライダーで実験開始。07年1号機が60m飛び、06年のサントスデュモンに続き欧州二番目の飛行成功者となった。
ボアザン機の特徴は後部発動機推進型で、10年に造った飛行艇が80機ほど売れて会社は軌道に載る。そして12年仏海軍用にタイプL-Ⅰを70機ほど納入。WWⅠが始まる頃には進化したタイプLA-Ⅲを多数納入、陸軍は大型化した新型で夜間爆撃を敢行した。

が、ボアザンは18年になると飛行機事業から撤退…「飛行機は殺戮兵器だ」が理由だった。で、自動車屋に転向したボアザンは、20年に乗用車C1を発売するが、一番の特徴は発動機にスリーブバルブを採用したことだった。

スリーブバルブとは、現在常識的なキノコ型弁での吸排気ではなく、気筒内を上下する別の筒のスリットの同調時に吸排気をするという機構で、既にダイムラー、メルセデス、ミネルバなど高級車に使われたが、複雑で生産性が悪く低効率で没になっていた機構だが、低効率を承知で、静粛という利点で採用したようだ。
そして30年には、V型12気筒まで造ってしまったのである。

もっともボアザンは理想の高級を追求する傍ら、レースにも熱中していた。で、21年乗用車4ℓ四気筒C3を軽量化して、パリ→ニース間トライアルに挑戦…こいつは当時最速の急行列車との競争だが、C3は6時間早く着いて、競争自動車界にボアザンを認識させた。
やがてサーキットレース、ラリー、ヒルクライムで勝ちまくると、今のFIAに相当するACFが慌てて規制改定でボアザン締め出しを図った。すると今度はGPレースに挑戦、僅か6ヶ月で六気筒スリーブバルブ2ℓ・80馬力・車重660kg・最高速度175㎞完成し、翌24年改良型C8とC9、4台が出走、1・2位を独占するも、事故で外れたフェンダーを積んでいたことにペナルティーを課し、優勝をフイにした…この悪意に満ちた判定に反発したボアザンは、以後レース活動を中止、速度記録挑戦と高級車作りに徹したのである。

1931年型ボアザンC20・DEMI BERLINE:ブガッティ同様ボアザンは美的感覚に優れどの作品も独創個性的な美しさだ。それをアルミで叩き出す技術も注目に値する。

その集大成が35年発表のC28アエロスポール…フラッシュサイド・クーペの美しさは、大学で工学と美術も学んだボアザンの集大成だった。直六スリーブバルブ3.3ℓ+1150kgの最高速度は150㎞。斬新なアルミボディーでの軽量化は、元飛行機屋ならではのもの。

このC28アエロスポーツをもってボアザンは終わりを告げたといって良い。WWⅡが迫り、世界的不況の中で、高級と芸術が混然と交わる良き時代の乗用車に生き残る道はなかったようだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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