たまには時計の話を「ネジを巻かずに2年間動く」ハミルトン・リコー

コラム・特集 車屋四六

私は独断偏見で、車が好きなら写真機や時計も好きと勝手に決め込んでいる。で、今日は時計の話をさせていただこう。

話題は「ネジを巻かずに2年間動く」ハミルトン・リコーの話。
リコーの前身は、1938年創業の老舗高野精密工業だが、倒産寸前に市村清の社長就任でリコー時計と改名、再生した会社である。

ネジを巻かずに2年間・ゼンマイがないと誇らしげ。「シャツのボタンより小さな超小型電池が新しいエネルギー」と自慢の時計は、米ハミルトン社特許電子時計だという。が、いまにしてみれば電子と名乗るのはおこがましく、電気時計が正解だろう。

ハミルトン・リコーの広告:私は欲しくて一頃中古市場を探したが遂に入手できなかった。

ハミルトンは、米国の技術優先の老舗、米国鉄道御用達で19世紀から270万個納入という実績の持ち主。57年発売ベンチューラ電気時計(プレスリーで著名に)の後、70年には世界初の赤色LED表示電子時計「パルサー」を開発販売している。

その昔、時計は日時計、水時計、線香、火縄、蝋燭などを経て、機械仕掛けになり、進化して生まれたのがゼンマイ式腕時計。19世紀ゼンマイ時計は、英国、フランス、独逸などに優秀会社が沢山だったが、20世紀に入り世界のリーダー格はスイス。そんなところにゼンマイでなく、コイルに発生の磁場でというハミルトンの登場で、当然のようにスイスは驚き慌てたそうだ。

ハミルトン電気時計はスイスを驚かせた画期的製品だったが世界のスタンダードにはならなかった。60年に米ブローバ社から音叉時計が登場し、その特許をインターナショナルやロレックス、オメガ、シチズンなどが契約したからだ。

米国製音叉時計ブローバ・アキュトロンとオメガ/スイス:ブロバはスケルトンらしくコイル付音叉や内部を楽しめる。

が、将来を期待された音叉時計もスタンダードにはなれなかった。その前に立ちはだかったのが日本のセイコーだった。水晶の固有振動を利用したクオーツである。もっとも水晶時計は前からあったのだが、とてもじゃないが腕に巻くほど小型化するのは夢のまた夢で諦められていた機構だった。

セイコークオーツの登場で、機械式時計800年の歴史に終始が打たれたのである…と世界の誰もが思ったら、スイスは高級ゼンマイ時計で巻き返したことは、皆さん御承知の通りである。

で、今では共存共栄、上手な棲み分けの時代となった。時間を正確に安くというならクオーツ、夢を腕に巻いて一人悦に入るならゼンマイということに。

が、ゼンマイの甦りで困った問題が起こった。ゼンマイ時計不振の20年間余、若手時計師育成をおこたり、加えてベテラン時計師が世を去り、時計師不足が起きたのである。

それはそれとしてハミルトン・リコーの値段は、ステンレス1万9800円、金色2万3000円。大卒初任給1万円を少々超えたころだから、結構な買い物だった。次のブローバは大卒初任給1.5万円の頃に約25万円、好奇心旺盛でも私は手にすることが出来ず、写真(下)のモデルは後年収入が増えてから手に入れた物である。

私自慢のクロノスイス・カイロス型/スイス:ゼンマイ時計復活後の独立時計師の作品/クロノグラフ型。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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