銘車ブガッティ・タイプ35

all コラム・特集 車屋四六

1926年~29年迄作られたブガッティ・タイプ35は最高のコレクターアイテムであり、また現役時代には大活躍したレーシングカーだった。作者はイタリー生まれのエットーレ・ブガッティ…フランス北東部モルセムの工場から、ワークスチームばかりか裕福ユーザーへと渡り、サーキットで、ヒルクライムでと活躍したのだ。

1926年型ブガッティ・タイプ35Bと筆者/トヨタ博物館蔵:直列八気筒OHC・2262ccはスーパーチャージャーで130馬力。シフトレバー、後輪専用ブレーキレバーを確認できる。

そもそもブガッティは優れた技術者であると共に、美的感覚も鋭く、自動車を単なる機械から芸術へと昇華させたと云う専門家も居るほどで、それは見えないエンジンにさえ及んでいるのだ。

タイプ35が姿を現したのは、1924年8月リヨンで開催のフランス・グランプリだった。エンジンは直列八気筒・NA・マグネトー点火・1991ccを搭載。大きな特徴がホイールで、ブレーキドラムが八本の鋳造ホイールと一体構造になっていた。
このホイールの効果は、放熱が良好でブレーキ性能が向上し、バネ下重量の軽減で、操安性や乗り心地も改善されたとしている。
このホイール形式は、暫くの間ブガッティのトレードマーク的存在となった。

トヨタ博物館所蔵のタイプ35B/1926年型の写真で、運転席右外の短いのは前進四速の変速レバー。四輪ブレーキだが長い方で後輪だけにブレーキがかかる仕掛けになっていた。
ちなみに前輪にブレーキが付くのは25年からだが、このブレーキはケーブル作動で、チェーンとベベルギアでの補正装置が付いていた。

ブガッティと云えば泣く子も黙る、高性能高級車というのが定評だが、格安モデルも作っている。写真(下)のタイプAツーリング・ブレシア/26年は英国でのシャシー値段は385ポンドだったそうだ。

1926年型ブガッティ・タイプAブレシア:ブガッティでは珍しい廉価版で直列四気筒OHC・1476cc・街乗りのスポーツカーだがレースに出場し楽しむオーナーも沢山居たという。

エンジンは直四OHC四バルブで1496ccだが、最高速度120㎞は、20年代前半のこのクラスでは、最速だったと云われている。

ブガッティには、当時のライバル同様スーパーチャージャーもあるが、アルザスグランプリ出場の1100ccタイプ35が、スーパーチャージャーで成功した最初の作品と云われている。

レーシングカー、乗用車、セダン、クーペとブガッティには種々あるが、街乗りの車でもレースに出られる実力があり、これがブガッティの大きな特徴だった…学習院の生徒から先生も務めた英人ボブ・ハザウエイが、WWⅡ以前のタイプ57クーペで長岡のヒルクラムに出て来たようにである。

ルマン、グランプリ、タルガフロリオ、インディ500など、大活躍したブガッティは、30年代になるとアルファロメオやマセラティ、そして国をバックのドイツ勢に席を譲り、WWⅡ後に市場から消えていった。まさに栄枯盛衰は世の習いを見るようだった。

1919年型・二座席グランプリスポーツ:直列八気筒DOHC・2300cc・115馬力。センターロックでブレーキドラムと一体鋳造八本スポークのアルミホイールを確認できる。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

Tagged