昔自動車広告は絵だった-7

all コラム・特集 車屋四六

ヒトラーが政権を取ると、WWⅠ敗戦で生じた疲弊混乱した経済の立て直しに成功するが、並行してドイツが戦争に向かい突き進んでいくのを国民は気が付かなかったようだ。

ナチの政権が生まれて三年目の1936年/昭和11年のポスターは国民の高揚心を鼓舞してはいるが、未だ穏やかである。

{新ドイツ建設の一環としてアウトバーン建設に感謝を捧げる}と、DBは国の政策に賛成の意を表明している。

ナチが残した歓迎行為と云われているのが、VWとアウトバーン建設だと云うが、実はアウトバーンはナチ政権誕生1年前の32年にケルン~ボン間が開通している。が、それを無駄扱いにせず、継続発展させたのはナチ政権だから歓迎行為で問題なかろう。

もっとも高速道路は軍隊、兵器、物資の高速移動に寄与するし、いざとなれば滑走路にもなるのだから、彼等の目的はやはり戦争が念頭にあったのかもしれない。
ポスターの表題は{偉大なる発展と共に歩む}高速道路建設は新時代を切り開くには歓迎すべき事業の一端なのだと、順調に発展するドイツを連想させようとしているようだ。

日本同様、戦争が始まると物資が不足する。そこで物を大切にしろ、無駄遣いはするな、贅沢も駄目と国民を促す宣伝は、企業が国策に協力する重要な行為だった。

二枚目のポスターは43年戦時中のもの。国民がエネルギーを浪費すれば、炭鉱で汗水垂らして奮闘する炭鉱夫たちの労働が無駄になってしまう、だから浪費、無駄遣いをするなと訴えている。
この手の宣伝広告は、日本でも盛んだった。例えば{ガソリンの一滴は血の一滴=物を大切にしろ。また{廃品も七度生かせば国のため}=無駄に捨てずに再利用を工夫せよと云っていた。

近隣各国に兵器の格差を示し「お前ら太刀打ち出来ないぞ」と威嚇・洗脳する手法は日本も含めて各国が使う手段だが、いまでも使われている。その一例が「我国は核爆弾を持っている」というやつだろう。

三枚目{メルセデスベンツ発動機が世界記録樹立}は1939年WWⅡ開戦の年。多分開戦直前だろう「ドイツの戦闘機や爆撃機はお前達のよりズッと速い」と高性能を自慢をしているようだが、これも国威高揚の一環で「お前ら我々と戦っても勝ち目はないぞ」と暗に仮想敵対国に脅しをかけているのである。

メルセデスベンツDB600/34ℓ・V12気筒発動機搭載のハインケル戦闘機が、ウデット少将の操縦で100㎞区間を時速634.370㎞で飛び、新記録樹立というのだ。
もう一つは、ユンカースのチーフパイロット・キンダーマンは、5000kg搭載で9312m上昇、1トン搭載で7242m上昇して、ペイロード国際新記録を樹立と自慢しているのだ。

また別のポスターでは、1939年4月、DB601搭載のメッサーシュミット109Rが最高速度755.11粁の国際新記録を樹立と自慢している。これらは、近隣諸国への威嚇宣伝と云っていいだろう。
当時列強戦闘機の最高速度は500粁台で、600粁を超えるものは稀だから、数粁早ければ空戦優位と云われる戦闘機の世界では、この格差は大きな脅威だったのである。
もっとも、戦後になって、この記録は嘘ではなかったのだが、記録用に造られたプロトタイプだったと判明した。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

Tagged