絶海の孤島で起きたアナタハン事件

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WWⅡ直後を知る人には懐かしい写真が見つかった。
左から、シトロエン11CV/1934~57、オースチンA40サマーセット/53~54、ルノー4CV/46~61、仏フォード・ベデット/48~54と後方にダットサンDB/48~54、右端ダットサンスリフト/50~。
写真の傾きを修整しなかったのは、左上の映画看板を残すため…この看板で撮影年月を確定出来るからだ。

有楽座の広告があるので新橋、日比谷、銀座界隈の路上駐車だろうが場所を想い出せない。ナンバープレートに大型小型の区分はあるが未だ全国通し番号時代らしく桁数が多く地域名はない。

問題の看板「Henrys Full House」日本名「人生模様」は20世紀FOX/1952年作。日本公開53年、6月20日有楽座でロードショーとある。マリリンモンローやチャールスロートンなど素晴らしい顔ぶれだったが、評判にはならなかった記憶がある。

一方、左端のアナタハンは日米合作の話題性に富む作品だった。
事の起こりは、サイパン北方約100㎞、終戦まで日本統治領の孤島アナタハン。その沖で日本軍徴用の三隻の漁船が、米戦闘機の攻撃で沈没したのが事の始まりだった。

島には,戦前椰子園開発の日本興発の社員男女二名が暮らしていた。女の名は沖縄出身の比嘉嘉子。そこに沈没船からの日本陸軍、海軍、軍属など30人が上陸し、共同生活が始まった。

やがて終戦。米軍はビラを撒き、日本の敗戦を伝えるが、彼等は敗戦を信じず身を潜めていた。が、時が経つうちに男共の本能があらわになり、女の奪い合いが始まった。
悪いことに、島に墜落していたB29爆撃機の残骸から、拳銃が見つかり、それを持つ者が有利となり、勝った者が夫になるが、やがて殺される。そんな状況が繰り返された。

のちに彼女は「来た者は拒まなかった」と述懐したそうだが、これは色情的なものではなく、男達の争いを少しでも減らせればという我慢的思いやりではなかったのかと推測する。
が、最終的に身の危険を感じた彼女は、島を脱出し米軍に投降したことで男達は収容され、51年に20名が帰国した。

そんなニュースが米国にも流れて、興味を持ったのが名画モロッコなどで知られるスタンバーグ監督。日劇ダンシングチームの根岸明美を抜擢、菅原正、中山昭二主演で東宝との日米合作映画の完成が52年。日本では53年に封切られた。

スタインバーグ監督ハリウッド東宝の日米合作映画アナタハンのポスター{絶海の孤島で一人の女と・全世界の注目を浴びるアナタハンの悲劇}とある。

また猟奇的扱いのB級映画に本人が出演するなど話題は尽きず、ブロマイドも大量に売れたそうだ。その後ストリップ劇場に出たりしたあと沖縄で「カフェアナタハン」を開店。その後再婚した男と始めたタコ焼屋が繁盛してようやく落ちついた生活を取り戻す。そして74年脳腫瘍/51才で死去した。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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