日本車のカーエアコン事始め

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そもそもエアコンとは、自動温度調整機能付空調機を指すが、そんなものの普及は1970年代に入ってからのことで、乗用車用では先ず暖房が登場し、次に冷房というように、別々に生まれ、個別に発達したあとドッキングしたものだった。

まず暖房だが、水冷エンジンでは冷却後の温水を室内のラジェーターで放熱、また空冷式では排気管で熱した空気を導入などだが、1937年米国ナッシュ社がケルビネータ社と共同開発した、小型ラジェーター熱交換式が現代型ヒーターの始まりと云えよう。

一方冷房は、27年米国で初登場と聞いたことがあるが、水を細かな霧状して噴霧するミスト型で、冷媒をコンプレッサーでという本格派は39年のパッカードが始まりだそうだ。

いずれにして暖房装置普及はWWⅡ以後のことで、冷房装置普及は60年代に入ってから。いわゆる冷暖房一体型のエアコン誕生は、54年型ナッシュ・アンバサダー型にオプション設定された、ナッシュケルビネータ型エアコンが最初とされている。

さてヒーターはエンジンの廃熱利用だからタダ同然だが、快適冷房はコンプレッサー作動でエネルギー消費が多いのが玉に疵。
日本での冷房は55年登場だが汎用後付用品。57年クラウンのオプションが初設定。更に、二代目クラウンが65年に冷暖房ミックスのエアコンディショナー/エアコンをオプション設定。
空冷エンジンの排熱交換型の最初は、58年登場のスバル360だ。

が、日本初発売開始はヤナセ開発のゼネコンで、ダッシュボード下の吊り下げ型だったが、直ぐにトランク型も発売された。
時を同じくして国産も登場するが、確かクラウンのは電装製で、直ぐに家電メーカーも市場に参入する。
昭和30年代、給油所+修理工場をやっていた私の工場で後付けしたのは、東芝とヂーセル機器製が多かったが、ユニット価格は小型車用吊り下げ型が約10万円、トランク型が15万円くらいだったと記憶する。それに取り付け工賃が加わるが。大卒初任給が1.5万の頃だから高価な贅沢品だった。

ヤナセでレストア終了間近のベンツ220Sオートマチック:ゼネコン型冷房装置搭載だから56-57年型あたりと推測される。吉田茂元首相も黒の同型を愛用していた。

さて日本初の国産冷房装置トランク型ゼネコン搭載ベンツの写真が見つかった。テイルフィンから55年登場の220Sオートマチックだが、冷房搭載を考慮すれば、56、57年型あたりと予測される。

写真で判るように、大きいからトランク容積がかなり減ってしまうのが難点だった。そして当時のピストン型コンプレッサーは重いので、車によってはコンプレッサー側前輪コイルスプリングのヘタリで車が傾くが、姿勢修整はスプリング上部にスペーサー入れるだけだから、修理屋に嬉しい商売だったが。

やがてコンパクトな回転型コンプレッサーが登場、部品の小型化が進み、ダッシュボード裏に収納可能になり、小型の暖冷ミックス型エアコンが登場し、1970年代後半から1980年代にエアコンの普及が始まるのである…昔冷房は金が掛かる贅沢品だったのだ。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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