アルファロメオの産声

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外国の史料だが、1953年迄の20世紀中で、グランプリ最多勝利メーカーはアルファロメオだそうだ。誰もがと思うベンツ34回、ブガッティ33回に対しアルファは実に58回だった。WWⅡ以前、アルファは無敵を誇った時代があったのだ。

ご承知のように、昔農業国だったイタリアは都市国家で、中世から都市同士の対抗意識が強い国だった。そんな国のトリノに、やがて世界屈指の自動車会社になるフィアットが誕生する。

で、当然のように大都市ミラノは面白くないから、我等もと進出の機会を狙っていたところにチャンスが訪れた。
1905年、イタリア進出を狙ったフランスのダラックが工場建設をするが、本国の不況の影響を受け経営不振になったのを買収。1910年/明治43年に設立したのが、ロンバルダ自動車製造会社、現地語でAnonia Lombarda Faburica Automobile。その頭文字で、車のブランド名ALFA=アルファが誕生する。

アルファの出発はダラックをベースに、ビアンキ社から移籍の、既に名を知られたJ.メロージ技師が開発した24HP車だった。ラジエーター左上にALFAの文字、上部にミラノ市の紋章をあしらったエンブレム、そして型式名製造番号のプレートには、後日競争車のシンボルになる四つ葉のクローバーがあった。

順調に発展するアルファは、WWⅠで財をなしたN.ロメオが株の過半数を取得し、ニコラロメオ技師会社と社名変更したが、1948年になり、アルファロメオと改称されたのである。

WWⅡ終戦で軍需工場から自動車工場に戻り、戦前の部品で組み立てた800台を出荷したのが戦後初のモデルで、初めてアルファロメオのエンブレムを付けた車でもあった。

実はメロージの24HPは「ツーリングにも競争にも」というコンセプトがあり、実際に11年のタルガフロリオに出場、トップを走っていたが、運転手が泥水で目をやられリタイヤしている。が、これが、やがて無敵を誇るレースの第一歩だったのである。

そして会社の頭領となったNロメオは、レースに対しては積極的。技術屋の速い車を作りたいは当然だが、レースに勝つことが大きな宣伝価値を生むことも、念頭にあったのだろう。

さて、24HPの心臓42馬力は、45馬力、49馬力と年ごとにパワーアップし、WWⅠ後の21年にはボアアップで4250cc・67馬力になり、24HPと同じ四座トルペードは最高速度130㎞にも達するのだが、当時としては1.2トンの乗用車が130㎞は素晴らしい速さだったのである。

アルファ24HP/1910年アルファロメオ博物館蔵:直四SV・4084cc・42馬力/2200回転・4MT・車重1屯・最高速度100粁。(写真は14年製だから45馬力型か)

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

 

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