特徴的なクラッチを持つフジキャビン

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親友から「妹が車を貰ってきた」と言われた。
フジキャビンのモデルを頼まれ、キャンぺーンが終わったら持って帰れと云われたと云う…出演料のオマケだったようだ。

モーターマガジン誌の表紙を飾った当時日本人では珍しい八頭身美人の小野澤ともこ愛称オノトモ/写真の車を貰ってきた

昭和20年代日本の女は常識的に大根足だったが、妹は珍しくすらりと長い足の八頭身美人で、兄貴の小野澤忠男は高校大学と同級で、卒業すると坂田商会/銀座教文館ビルに就職したが、急に航空自衛隊に入りF86戦闘機のパイロットになってしまった。
私がグライダーに乗せたのが、空に目覚めた原因だったようだ。

フジキャビンは、東京瓦斯電気工業を買収した富士自動車で富谷龍一が開発…当時自動車など思いも付かない素材の、日本触媒が開発中のFRPを、コラボ採用したものだった。

で生まれたのが一体構造ワンピースのモノコックボディー…軽量、頑丈、錆びないFRPは、コスト低減に役立ったと思われる。
完成した車は昭和30年/1955年の第二回全国自動車ショーに{メトロ125}の名で登場し、翌年から23万5000円で発売された。

妹が貰ってきた車は、試作車だったのだろう、ハンドルが19世紀末に生まれた自動車のような梶棒=ティラーハンドルだったが、市販時には半楕円ハンドルになっていたのは、運輸省からの指導があったものと思われる。

当初ドアは左だけで、助手席は運転席より後ろにズレていた。運転席への乗降簡易と車幅低減をしながら太った人もという配慮だったのだろう。異常に長いクラッチペダルと思ったら、蹴飛ばして後部のガス電エンジンを始動するキックペダルだった。
更に感心したのが運転席右下のレバー…手前に倒すとクラッチが切れ、前方からR・N・1-2-3とシフトし、スプリングに逆らい倒したレバーを戻していくとクラッチが繋がる仕掛けだった。

ティラーハンドルは切れが良く、それが危険と運輸省は難を示したのだろうが、パッと切ると片輪が浮き、そのまま二輪走行すると、周囲の人が驚く、それが楽しく随分と二輪走行を楽しんだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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