カロッツェリア・ギア?

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世界中で自動車ショーが開催されると、現行モデルの他、クラシックカー、そして未来指向のコンセプトカーにも視線が集まる。
そんな視線を集める車を作る老舗の一つにギア社がある。

1956年7月、大西洋を米国に向かうアンドレドリア号が他船と衝突、沈没した。で、悲嘆に暮れたのがクライスラー社。12月のニューヨークショーに展示するはずのドリームカー{ノーズマン}が船と共に消え去ったからで、その車がギア社の作だった。

ギア社は、コーチワーク、イタリアではカロッツェリアと呼ばれるボディーメーカーで、1915年/大正4年にジアキント・ギアが創業し、当初は軽量アルミボディー製作を得意とした。
その集大成の一つが1929年ミレミリア優勝のアルファロメオ6C-1750だった。

初期の傑作アルファロメオ6C-1750・1929年型/ムゼオアルファロメオ蔵:ミレミリア優勝車。

WWⅡ中43年空爆で工場は焼失したが戦後48年にM.ボアノとG.アルベルティに売却。53年L.セグレ技師の入社で活躍再開する。
その成功作がVWカルマンギアやボルボP1800だったが、このような量産モデル以外の本業、フォードなどのショーモデルや金満家の注文一品製作も盛んに受注した。

ニュージーランド・クライストチャーチ路上で見つけたVWカルマンギア。

が、53年ボアノがフィアット社に移ると、買い取ったギア社はセグレの独裁権で、カロッツェリア・フルアを買収し、名作ルノーフロリードの作者フルアを、主席デザイナーに据えた。
その頃から、ギア社とクライスラーとの密接な関係が始まり、それは15年もの間続くことになり、前述ノーズマンも含まれ、ギア社関連のク社作品は18台を数えた。

が、63年セグレの死去で、会社は66年R.トルヒーヨに売却され、67年には再度売却でA.デトマソの手に渡るという紆余曲折の時代があった。その間の65年にG.ジウジアーロが入社して、再び元気を取り戻していった。

ジウジアーロは、会社がデトマソの傘下に入ると翌68年に退社して、自身のイタルデザインを創業する。
ジウジアーロのギア在籍中には多くの名作があるが、我々に身近なのは、いすゞフローリアン、特に117クーペは傑作と云えよう。またマセラティギブリ、デトマソマングスタ&パンテーラ、イソリヴォルタ、カルマンギアなど傑作を多々残している。

ジウジアーロがギア社在籍中の傑作いすゞ117クーペ/1966年:最初のカタログ写真の撮影者は篠山紀信だった。

が、ギア社の有為転変は更に続く。傑作は残したものの、デトマソは経営者としては成功せず、持ち株をフォードに売却したので、以後しばらくは、フォード+ギアの名を冠した車の登場となる…エスコート、フィエスタグラナダ、カプリ、コルティナ、シエラ、モンディオ、フォーカス等々である。

これで安泰かと思ったら、2019年フォードはリストラを発表した。48名いるデザイナーを5名にして、コンピュータ作業でコンセプトカー開発に専念させるというものである。

カロッツェリア界では老舗ギア社の作品のこれからは、コレクターの情報発信で楽しむだけになりそうである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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