デトロイトの陰謀

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プレストンTタッカーは、1930年代に最高の贅沢車と云われたデューセンバーグ、斬新前輪駆動のコード、フォードの競争車、陸軍の高速斥候車など、車と名が付けば乗用車、競争自動車、兵器まで広範囲に腕をふるい、米国のポルシェと呼ばれた人物である。
ちなみに斥候車用に開発した電動砲塔は、後に軍艦や爆撃機に搭載されてWWⅡで大活躍している。

さてWWⅡが終わり、3年目のデトロイトショーで注目一台は、魚雷のような見慣れぬ姿+70年も前に安全対策盛り込んでいたが、それが悲劇の始まりとは誰も気が付かなかった。

終戦直後彼は、株で1500万ドル集めて創業。先ず終戦で不要になった飛行機工場を落札したが、政府は他社に引き渡したので告訴。裁決では勝利したが、その間3ヶ月の間に失った金と信用は莫大だった。

また政府所有の溶鉱炉を最高値で落札したのに、またもや炉はカイザーフレイザー社に引き渡された。そんな妨害にも耐えて車は開発され、48年生産開始を発表すると、またもや妨害の手が伸びる。
放送局が{実在しない車の資金集めで司法の手が伸びる}と放送…で、タッカーは試作車3台の提出を司法省に連絡するも無回答…結果5ドルの株価が2ドルに暴落…その暴落を待っていたかのように行動を起こしたのが証券委員会だった。

そして証券委員会と連邦局の合同調査開始を待ち構えたように、有力紙デトロイトニュースが{大詐欺師タッカーを告訴}と報道、これを追うようにコリアーズやリーダースダイジェストなども後を追う…対するタッカーは「役所の情報が外部に…」と抗議すると回答は「そんな事実はない」だった。

此処まで来れば読者もおかしいと思うだろう…後日判明したが、その黒幕はファーガソン上院議員、そして証券委員会メンバーだった後のマクドナルド長官が資料を報道に手渡していたと云われているが、この二人は共にデトロイト出身だった。

この出来事は、時代を先取りし先進技術の塊みたいな乗用車に脅威を抱いたGM、フォード、クライスラー、ビッグスリーが追い落としの陰謀に一致団結したと云われているようだ。

この陰謀劇の結果は、無罪判決だが、時すでに遅く資金も信用も失い、追い打ちを掛けるように評価額1280万ドルの資産を管財人が僅か15.6万ドルで売却して幕が閉じられた。
その後、再起を図ったタッカーは、56年53才でこの世を去った。

この悲劇は忘れ去られたと思っていたら、1988年、フランシス・コッポラ監督とジョージ・ルーカスのコンビが映画化し、日本でも上映され、再び世に出ることになった。
映画でも判るように、勝訴を目指した従業員が在庫部品で夜を日に次いで組み立て、51台を裁判所前に並べたが、これが{タッカー48}の全生産量で、現在まで47台が動態保存されているという。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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