レシプロからターボジェット時代へ

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人は欲の塊、満足という言葉を知らない人が多い。で、自動車がだんだん早くなるにつれ、記録更新が進み、最後は長年課題だった音速も突破し、遂に米ネバダではマッハ1.016到達…戦闘機用RRスペイ二基装備の運転は英空軍Aグリーン中佐だった。
人間が命がけで地面を走る、神様も呆れていることだろう。

もっとも飛行機なら動力が何だろうと、早いのは勲章もの。
内燃機関の長い時代が終わると、パルスジェット、ターボジェット、ロケットなどが登場し、現在はターボジェットの時代である。

速さということでトップは矢張りロケットということになるが、1967年ノースアメリカンX-15がマッハ6.7=時速7927㎞を記録したのが飛行機では最速だが、これは実験機でその後、実用機は生まれていない。

が、実用機はWWⅡ中既に登場している。ドイツで、30㎜機関砲二門装備のメッサーシュミットMe163が400機造られて、列強戦闘機が5~600kphの頃、800㎞を超える速度でボーイングB-17戦略爆撃軍に挑んでいる。(ちなみにゼロ戦ほか連合軍も含めて、ほとんどの戦闘機は20㎜機関砲だった)

メッサーシュミットMe163ロケット攻撃機

当時B-17のパイロットだった人物がグライダー仲間にいたが、「下から急上昇で近づくのが見える・機関銃手は下から急角度急上昇なので弾が当たらない・見る見る塊が大きくなり機関砲を一連射し突き抜けるように急上昇・燃料が切れると反転急降下しながらまた一連射し下方に消えていく・どうしようもないだけに怖かった」と云っていた。

ドイツ軍は、30発前後のロケット弾装備のバッヘムBa349挟撃機も開発実戦配備したが、終戦により実戦参加はなかった。

飛行機用動力として内燃機関での限界が見えると、次ぎに登場するのはジェットエンジンだが、開発はWWⅡ中に始まり、技術では英国とドイツが先行し、飛行には英国も成功するが、初めに戦場に持ち出したのはドイツ軍だった。

1430機も造られたメッサーシュミットMe262双発戦闘機は、B-17の護衛戦闘機P-51ムスタング戦闘機を相手に200㎞近い速度差で優位に戦闘したと云われている。
ただ、ロケット弾工場を連合軍の爆撃でやられて弾不足、遠距離攻撃が出来ない機関砲攻撃で、被害も大きかったようだ。

メッサーシュミット双発Me262ジェット戦闘機

ドイツ軍のジェット戦闘機は未だ有る。国民戦闘機と称したハインケルHe162で、BMW製ジェットエンジン一基を装備した軽戦闘機だったが、実戦配備が遅いばかりか操縦が難しく、メッサーシュミットMe262ほどの戦果は上げていない。
ちなみに、Me262のジェットエンジンはユンカース製Uumo004で、また単発のHe162はBMW製003型。

ハインケルHe162国民戦闘機

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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