ツェッペリンの危険なゴンドラ勤務に意外な人気

コラム・特集 車屋四六

戦争は輸送も重要課題で、WWⅠ中貨物自動車は勿論、英軍ではバス1000台がロンドンから西部戦線へ渡り兵員輸送に活躍した。
有名な話しはフランス軍のマルヌの戦い…パリに迫るドイツ軍に奇襲攻撃のための兵員輸送。司令官ガリニ将軍は、パリ中のタクシーを集めて一晩で6000人の兵士輸送に成功し勝利を掴んだ。

此処で注目は、タクシーは全部メーター料金で走ったばかりでなく、危険手当2.5%を追加したというのだから、イキな計らいをしたものである。

マルヌ戦線へ有料で大量輸送したルノータクシーと同型モデル

WWⅠ中登場の画期的兵器と云えば戦車だろう。英フォスター社がキャタピラー付戦車を開発したのが1915年の暮れ。開けて’16年ソンム戦線に突然80台が登場し、兵器開発では天才のドイツ軍もビックリだったろう。

その戦車が戦線に届くまでは極秘ということで、英軍はその送り状に{水タンク}と表記したことで、以来、戦車をタンクと呼ぶことになる。で、生まれた同名の時計がカルティエ・タンク。

送状{水タンク}で突如戦線に現れ独軍を脅かしたMK-1戦車’16:全長9.9m×全幅4.3m・車重8トン・乗員8名・時速5.96kph・1万6000cc・105馬力・57㎜砲x2・7.7㎜機銃x3/装甲車同様開発には海軍大尉が参加している
カルティエサントスに続き登場したカルティのタンク:写真は現行モデル

WWⅠで活躍した新兵器、飛行船と潜水艦は兄弟の間柄…空気と水の違いはあるが、比重差利用で成立するからだ。が、両者の戦いは常に飛行船有利…飛行船監視の連合軍輸送船団で、独潜水艦Uボートに食われた船は一隻もない。その飛行船による船団護衛は、WWⅡでも続いた。

一方、飛行船の本家ドイツでは、世界初の戦略空軍を組織した。1910年頃ツェッペリン飛行船は、ほぼ完璧だったが、200馬力級発動機に信頼性がなかった。が、1911年マイバッハの発動機完成で、LZ-11号は問題解消した。

で生まれた世界初の航空輸送会社DELAGの船団は、開戦と同時に独軍に編入され、1915年皇帝カイゼルがロンドン爆撃を命じた。ヴェンケ船長のLZ-10号船が3000mの高度で爆弾投下をしたのが、ロンドン空襲の始まりとなった。

当時の高射砲は3000mまで届かず、戦闘機がフラフラと上がってきた頃には、チョット高度を上げてしまえばハイそれまでよだったが、何時までも続くものではなかった。

すぐに高射砲も戦闘機も届くようになる。するとハイトクライマーと命名された高々度爆撃船を開発し、6000mの高度で悠々と飛来、爆撃すると悠々と去っていったのである。

が、高く上がれば良いというものでもない。雲が出ると下が見えず、見当で爆弾投下すると畑に落ちたり。で「英国の野菜全滅で兵糧攻め?」と早とちりした慌て者も居たという。

で、独軍は考えた…一人乗ゴンドラを雲の下に吊り下げて、電話で投下指示…云うなれば人間レーダーというグッドアイディア。このゴンドラ勤務が危険仕事なのに意外な人気…軍人魂なんてものではなく、水素満タンの飛行船では禁止の煙草が吸えたのだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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